「ここにこたつなんてあったか?」
 「今日のために買ったんだよ。シズちゃんと一緒に鍋食べようと思って。」
 「俺と、」
 「うん。だって俺たち、こび、恋人同士じゃないか。」
 噛んだ。何をあせっているんだ俺は。頭を抱えたくなったが、それは明日に持ち越そう。

 リビングの中央に設置したこたつは、生活感のあまりないこの部屋の中で異彩を放っている。
 向かい合わせに座ってから俺は小さく溜息を吐いた。いつもの調子で話せないというのはこんなにも苦しいことなのか。つまりいつも俺がどれだけ嘘と欺瞞で塗り固めて生きているかということが知れるようなものだ。この馬鹿がつくほどに正直な男は一生こんな思いを味わうことはないのだろうなぁ。決して届かない、交わらないはずだったのに。そんなことを思いながら向かいに座った金髪をぼんやり眺めていると不意にシズちゃんが伏せていた顔を上げた。
 はっと息をのむ。
 一度交わった視線は容易には外せない。呼吸の音さえせず、室内は全く静まり返っていた。
 どちらからともなく唾を飲む音がした。シズちゃんの指の長い、大きな手が伸びてくる。

 (触れる。)
 俺は思わず目を瞑っていた。
しかしそれは俺には届かなかった。
 かつんと硬質な音を立ててその指が鍋の蓋に当たる。
 自然にシズちゃんはそちらへ目を向け、俺は止めていた呼吸を再開した。伸ばされた手をかわすかのように俺は立ち上がって鍋の蓋を外す。
 見る間に二人のあいだに立ち上る湯気の壁。

 「食べようか。」
 「え、ああ、そうだな。」
 「今日は鳥鍋だよ。俺頑張った、すごく頑張った!」
 堰を切ったように口から言葉が漏れ出す。向こう側にいるシズちゃんはなぜだか少し残念そうな顔をしていた。いつもなら「このムッツリ野郎」と罵っているところだが今日は自重することにする。なぜなら今日はこいつの、
 (あ、そういえばまだ言ってないな。)

 大きく息を吐きながら頭の中を整理して、どのタイミングでそれを言ったものかと目の前で鍋にがっつく金髪を見詰めていた。

 「飲み物取って来る。」
 頭を整理するという本題を当たり障りの無い建前で覆ってから立ち上がる。一度まとめてしまわないと飽和してしまいそうだ。そんな俺らしからぬ考えが浮かぶのを苦笑することも出来ず黙ったままキッチンの方へ足を向けた。
 しかし二歩目を踏み出すことは出来ない。

 「シズちゃん?」
 「・・・。」
 無言である。俺左足を掴んだまま動かないということは隣に座れということなのだろうか。相変わらずよくわからない。いつか俺がこの男のことを理解できる日が来るとも思えない。

 「俺はお前のことなら何でもわかるけどな。」
 「君そんな能力まで持ってたの。」
 「恋人同士ってそんなもんなんじゃねえの。」
 「いや違うと思う。」
 いいから座れと遂に足を引きずられ、俺はシズちゃんの隣に座らされることとなる。わざわざ狭いこたつの一辺に二人してすわることもないだろうとは思ったがシズちゃんが嬉しそうだったので黙っておくことにした。

 沈黙することしばらく。
 お互いに視線が合ってはそらす、ということを少なくとも片手では足りないほど繰り返してからようやく口を開いたのはシズちゃんだった。あー、と無意味な擬音を発すること数度。
 「お前、俺のどこが好きだ。」
 一世一代の大仕事でもするかのような顔つきでこの男はそんなことを言った。無論、赤面して。呆気に取られたのは言うまでも無い。頭にだんだんと血が上っていく。俺は若干後悔していた。
 (素直に言わないといけないのか、もしかして。)
 正直なところ言いたくない。言えないというわけではない。それに今日は新羅のせいに出来るということだって十分理解している。それでも恥ずかしいことに変わりは無いのだ。
 (なんという羞恥プレイ。)
 おそらく新羅はこれをわかっていてこの作戦を提案したのだろう。さすがは俺の親友だと頭の中で思い切りあのにやけ顔にハイキックを叩き込んだ。
 隣からは期待に満ちた視線。ああどうあっても逃げることは出来ないのだと理解した俺は、一度目線を握られたままの右手に落としてから、やっと腹を決めた。

 「手が、好きだ。俺よりも大きくてごつい。綺麗とかそんなんじゃないけど、温かくてシズちゃんらしいから。」
 頭が沸騰しそうだ。お前の手の方俺は好きだとか言わないでくれ、確実に脳が融解し出すだろうから。

 「声がエロいとことか。案外ムッツリなところとか、」
 「けなしてんのか褒めてのかどっちだ。」
 「褒めてるよ。」
 嘘だけど。いやそれが嘘か。もう俺自身にさえ真実が見えなくなってきた。熱で視界が滲む。
 「あと、優しいところとか。」
 あえて言うなら今の表情とか。きっとこの男は今自分がどれほど柔らかい表情をしているのかわかってはいないだろうが。
 喉に詰まりながらも案外言葉はすぐに出てくる。なぜ。その疑問が浮かぶこともあったが俺はもう答えを見つけていた。

 「俺と同じで人間と上手く適合できないところとか。・・・俺がいないと生きていけないところとか。」
 「…。」
 「否定しろよ。」
 「…合ってるからいい。」
 何でこうも照れるようなことを言うのだろうか。声がエロいからだろうか。
 俺は黙って次の台詞を言うタイミングを図った。
 (ここで言うべきだろうなぁ。)
 俺は唾を呑んだ。喉はすでにカラカラに渇いていて痛むほどだった。
 シズちゃんは俯いたまま俺の手を眺めている。握られた手が湿っているという文句は言わないことにした。

 「そういうシズちゃんのことがさぁ、俺は好きなんだ。」
 さらっと、出来るだけさりげなく言いたかったが声の掠れは誤魔化しきれなかった。
 さぁもういいだろう、と手を引き剥がして立ち上がろうとする。素直なのはもう沢山だ。

 しかしそれも上手くはいかない。時の流れというのは一定で、決して思い通りにはいかない。今日が早く終わることも無ければ、瞬時に向かい側に俺が戻ることも無い。
 地面が揺らいだと思ったその瞬間に、俺はシズちゃんの下にいたのだった。

 ***

 シズちゃんが俺を見下ろしている。さっきのまま、どうしようもないくらい優しい表情をしている。
 狭いコタツの中で暴れると鍋が大変なことになると、状況にそぐわないほど現実的なことがふと頭を過ぎる。しかしその考えも警鐘も、何もかもシズちゃんの顔が近付いてくることでかき消されていった。舌の先で唇を舐められると腰の辺りに甘い痺れが走った。撫でられた頬も、首筋も熱くておかしくなりそうだった。

 「素直だな。『薬』ってすげえ。」
 「こっちの方がいい?」
 「臨也ならどっちでもいい。というかそもそもお前何も、」
 「え?」
 「いやなんでもない。」
 シズちゃんは隣に寝転がって俺の頭を抱え込むようにして抱きしめた。シズちゃんの匂いがする。
 「こんなことで俺がごまかせると思うなよ。」
 腕の中で少しミュートのかかった声だが俺は最大限にそれを荒げていた。
 「君、俺が『薬』なんて飲んでないって知ってたろ!」
 シズちゃんはさらに腕の力を強めただけだ。混乱を極めた脳内のエントロピーは爆発寸前である。全力を賭けてその拘束から逃れようとしてみるが、やはりそこはシズちゃんである、足掻けば足掻くほど俺の力は失われていった。

 「ああああああ!!恥死する!もう、本当に馬鹿じゃないのか!君よりもむしろ俺が、というか新羅が!ばれるに決まってんじゃんこんなの。いつ気付いた?」
 「初めから新羅が言ってた。」
 「あの変態!セルティにあることないこと吹き込んでやる。」
 ぎりぎりと歯軋りしつつも腕から逃れようとすることは止めない。それを何事も無いような顔でシズちゃんは押さえ込んでいる。涙目の俺が睨みつけても効果はあまりないようだ。

 「いいじゃねぇか。」
 「どうしてくれるのさ、俺のプライド。」
 「どうでもいいし。というか、まぁ、嬉しかったし、いいんじゃねぇか。」
 ゆっくりと、かみ締めるような答えに俺は沈黙せざるを得なかった。彼の欲しいものをあげる、という当初の目的は果たされたのだからこれでいいのか。でもまだ何か忘れているような気もする。堂々巡りを続ける思考。

 「シズちゃん、俺にして欲しいことない?」
 溶けた思考ではもう何も考えられないと俺は観念して、結局質問してみることにした。
 それを聞いたシズちゃんは少し間を置いて、そして楽しそうに喉を鳴らしてこちらを見やる。

 「そうだな、あと一言だけお前から言ってもらえればそれでいい。」
 忘れかけていた言葉を思い出す。シズちゃんのおかげで思い出せたのは不本意だが、その笑顔と今日という日に免じてそれについては何もいないことにする。
 身体を上に引き上げて、目線を同じにしてから俺は微笑む。
 そういえば、恋とはこういうもののことをいうらしい。俺の優秀な脳がそれを知ったのはついさっきである。
 ようやく鮮明になった頭と心を総動員させて俺は口を開く。


「誕生日おめでとう!」