「艦長!左舷方向に敵艦です!」
 「確認。パターンは?」
 「パープル、疫病神です!」
 「今年も来たか…。総員、戦闘配置!」
 《《警報音》》
 「敵艦、撃ってきました。大型ウイルスです。」
 「迎撃用意!」
 「雛あられ装填します。発射まで十秒。カウント10、9、8…」

 「三人官女、用意はいいか。」
 「いいわ。」「いつでもいけるよ。」「早くぅ!」
 「よろしい、ならば出撃だ。」

 「雛あられ、発射!」
 《《破壊音》》
 「敵艦沈黙!」
 「カウント3、2、1、三人官女、出撃!」
 《《発進音》》
 「姉さん死なないでよ?」
 「こっちの台詞だわ。それよりあの子が暴走しないように見張って頂戴。」
 「もぉ、大丈夫だもん!あ、敵船はっけーん!」
 「あらあら、まだ子供なんだから。」
 …

 ***

 「こうして毎年のごとく襲いくる病魔や悪鬼から女の子を守るべく、御内裏様を艦長とした『宇宙戦艦雛祭り』は遥か広いユニバースをさ迷い続けるんす。」
 「守るという目的だけのために生きる、その中で起こる自我との葛藤。」
 「宇宙船という密閉空間の中で育まれる愛。そうこれは壮大なヒューマンドラマ!」
 「…」
 「ねーゆまっち。五人囃子の中だと誰が受けかな?あたしは真ん中の小鼓の子が強気受けだと思うんだけど。あ、でもでも笛の誘い受けもいいよね!」
 「狩沢さんはなんでそっちに走るんすか!ビューティフルライフ設定は俺に見えないとこで付けてくださいっす!」
 「えー。ゆまっちだって三人官女、俺得設定にしてたじゃん!」
 「お前ら、日本の伝統をなんだと思ってんだ。」

 門田は読んでいたライトノベルを閉じると呆れたように後ろのシートで騒ぐ二人を振り返った。当の狩沢と遊馬崎はそんな苦情を気にも留めずに口々に己の欲望を吐き出している。コアな会話が車内に立ち込めるのはいつものことである。
 ――出会った頃なら眉を顰めるぐらいはしてたんだろうな。
 門田はバンの助手席に再び身を沈めた。一般人なら咽てしまうほどの濃い空気の中でライトノベルに集中できる辺り、彼もこのメンバーの一人だと納得せざるを得ない。

 ***

 三月三日、雛祭り。
 女の子の健康と安全を祈り雛人形を飾る節句の行事が行われる日だが、子供のいない人々にとってはただカレンダーに書かれているだけの無意味なものに過ぎない。
 ――狩沢や遊馬崎にとっちゃこれも一大事なんだろうが。
 門田はふとそんなことを思ったが、しかしよく考えてみればいつもの会話に季節感が加わっただけのことだと思い至り、馬鹿馬鹿しくなって思考を止めた。
 路肩に停められたバンの中では未だに妄言、もとい言葉の波が絶える事は無い。

 「ねえドタチンは大鼓×小鼓派?それとも謡×笛?え、まさか御内裏様×太鼓!?」
 背後からの急襲にやれやれと溜息だけで応えて、門田は単行本の文字に目を走らせる。視線さえ交わらないことに不平を言う狩沢には無言を、来期にアニメ化される手の中の作品には期待を与えつつ時間の流れだけを感じていた。
 「渡草さん、遅いっすねぇ。」
 狩沢と同じように助手席と運転席の間から頭を出した遊馬崎がそう呟いた。釣られて門田は顔を上げる。沈みだした日の光がフロントガラスに反射して、目を刺した。夕闇に沈んでいくビルとビルの間には途絶えることなく人並みが続き、その中から渡草を探すのは非常に難しそうだ。
 門田は一巡させ仲間の姿がないことを認めて、再び文字の海に身を沈めるべく視線を落とすことにした。

 しかしそれはただの予定に終わった。実際彼の視線は文字ではなく、窓の向こうのある一点へと釘付けになってしまったのだ。

 門田がその人物の名前を呼ぶより早く、車内から一人が飛び出していく。
 「キャアアア!!!」
 言うまでも無く狩沢である。その速きこと疾風を凌駕し、侵略すること烈火のごとき姿であった。
 猛然と駆け、狩沢はその人物へと飛び掛る。『彼女』の黒い艶やかな髪が空に散らばった。ぎゃっと叫んだその声に『彼女』が『彼』だと確信した門田は駆け足で地面に転がる二人の女性へと近付く。

 「イザイザ可愛いよおおお!ミニスカミニスカミニスカ太股腰尻!!」
 「何この子怖い!ドタチンヘルプ!」
 「何でそんな格好してるんだ、臨也。」
 「いいから助けて!」

 ロングヘアを振り乱しもがく同級生――確かに男であるはずの臨也が狩沢に押さえ付けられているのを冷静に見ていた門田は、ふと自分の仲間が「萌え」に対して異常に貪欲であることを思い出してようやく制止に入ったのだった。

 「狩沢ってさ、萌えを見つけると三倍速になるのかい。」
 皮肉交じりにそうなじるのは、風が冷たい今日だと随分寒そうに見えるほど短い丈のスカートを履いた情報屋、折原臨也だ。恐ろしいほど自然に女装をする同級生に門田は戦慄し、仲間の狩沢と遊馬崎は目を輝かせて臨也を囲んでいた。
 「男の娘だ!」と大々的に騒ぐ二人を横目に門田は臨也に事情を聞くことにした。

 「雛祭りだろ、今日。粟楠…ああ、いや知り合いの家にあんまり女っ気がないからってさ、そこのお孫さんのためにこんなことする羽目になったんだよね。わかってるよ、似合ってるなんて。でもさ流石に俺も二十代半分過ぎてるのにこれは無いと思うよ。仕事とはいえ辛いよねえ、ああ社会って厳しい!」

 臨也は一息にそう言い切ると、軽く肩を竦めて周囲を見回した。門田はそれを察し、バンに乗るかと尋ねたが臨也はすぐに帰るからとそれを断った。
 「もしかするとこの格好だからバレない可能性もあるしね。」
 本気半分、ふざけ半分といったところであろうか。自分の言葉に一縷の希望を託しているようにも聞こえる。臨也と同じように門田は辺りに視線をやった。遠くの方に金髪が見えたが、臨也はそれに気が付いていないようだった。

 「じゃあそろそろ帰るよ。あいつがいつこないとも限らないからさ。」
 器用にハイヒールでガードレールの上に立つと、臨也はふわりと門田と狩沢の間に飛び降りた。
 「女装するんならパンツまで揃えないと、」
 「それ以上言ったら君の家にある本全部燃やすからね。」
 一言で狩沢を黙らせてから臨也は手を振って三人に別れを告げた。口の端を優雅に上げて、目元まで優しく笑ったその姿はただの美女だ。
 「さすが眉目秀麗。」
 門田のその台詞に『彼女』は無言の笑顔で返した。夜になって、昼間とは違う顔を見せる街の中にその姿はぴったりと言っていいほど調和していた。
 「俺の街だからね。」
 人間がいる限り。そう付け足して臨也は踵を返した。段々と街並みに溶けていく姿を門田は見守る。

 「顔はいいのに。」
 そう門田が言うと、隣にいた二人は堪えきれずに噴出した。わかりきったことなのにね、と狩沢はにやにやと笑いを湛えたまま口にする。日常の中で得た情報は確かに脳に蓄積されているはずなのに、五感が錯覚してしまうとそれも役に立たなくなるのだ。門田はそんなことを思い、臨也の消えていった方向へと目をやった。

 「渡草さん、遅いっすよ!」
 「そーだよ!ちょうどさっきイザイザがさ、」
 ようやく戻ってきた仲間の一人を囲むように狩沢と遊馬崎は声高々に話を始める。主な話題は、新宿の情報屋の非日常。
 それをぼんやりと片耳で聞き流していた門田は目線の先で破壊音を捉えた。

 「あれも日常か。」
 小さな呟きは夜に呑まれ、遠くで同級生の二人が年甲斐も無く喧嘩を始めるのを門田はほんの少し可笑しく思った。空へ舞い上がる自動販売機。どんな格好だろうと見つけられるのは、彼が本能で臨也を探しているからだろうか。

 「そうそれこそ壮大なヒューマンドラマ!」

 遊馬崎はそう言いながら狩沢に続いてバンへと潜り込んで行った。
 喧騒の向こうで笑い声が聞こえた気がしたが門田は振り向くこともなく歩き出す。化け物たちの日常はもはや彼の日常に含まれてしまっているのだ。
 街の灯は立ち消えることも無く煌々と輝いていた。