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人間の体の70%は水で出来ている。あと炭素だとかカルシウムだとかのいくつかの有機と無機から構成されていて、案外単純に人間の体は成り立っているのだ。
だからきっと体は溶ける。こんな高温多湿で直射日光の当たるような所にいたらきっと溶ける。家を出ておよそ20分、俺はもうすでに後悔していた。なにもこんなに暑い日に外に出なければよかった。取引ぐらい直接会わなくてもネットや携帯を通してでもできるのに、と情報屋としては致命的なほど無責任なことを考える。日頃真面目な俺らしくない。思考がそこまでトんでしまうほど、夏に参っている。日焼け対策に上に羽織った夏用コートまでが熱を帯び、頭も体もぐらぐらする。
ともかく早く終わらせてしまおう。夏の暑さも文明の利器たるクーラーの冷風には勝てっこないのだ。エコとか知るか。地球なんかよりも俺は人間が好きだ。ひとらぶ!
本格的に逆方向に回りだした頭を抱えながら、俺はなんとか待ち合わせ場所にたどり着きなんとか取引を終えた。その間の会話は全く頭に入らなかったが、やっと帰れるという安心感とよくわからない高揚感に包まれながら俺は帰路についた。
しかしよく回り続ける頭はベタな事態には未対応だったのだ。
池袋の街に怒号が響く。
「テメェ、何でまだ生きてんだよ、おぉ?」
オールシーズンオールタイム変わらない格好とテンションのシズちゃんだぁー。わぁ、今日も頭悪そう。俺、今溶けかけだし早く逃げないとやばいかな。あー、あつい。
「おいノミ蟲。何黙ってんだ。気持ちわりぃ。」
あれ、俺今しゃべってなかった?おかしいな、頭がぐらぐらするからか。止めないと。でも止めたらやばいんじゃない?いや、よくわかんなくなってきた。シズちゃん沸点低いから近くにいると俺も蒸発するかも。このまま蒸発したら空気になって人間観察しやすくなるなぁ。あれ、空気って読めるものだっけ。
「臨也、おい。しっかりしやがれ。おい!」
眠い、ねむい。暑いし、多分このまま液体化する。泥のように眠るってこのことか。やめてよシズちゃん。俺は寝るんだから、手なんか掴まないでよ。熱いよ、そこから溶ける。
緩やかに停止していく回転の中でその手だけがはっきりと俺を繋いでいた。
「あれ、」
どこだここ。再起動したての俺の頭にはまだその場所が把握出来ていなかった。体を起こして辺りを見渡そうとするが、どうもまだ頭が動かない。痛いし、重い。おかしいなぁ、スペックはいいはずなんだけど。
仕方なく目だけで辺りを伺うと、どうも見覚えがある。どうやら友人である闇医者の家のようだ。
「やぁ、起きたかい。全く驚天動地だね、君が熱中症なんてさ!」
新羅の言っていることをぼんやりと聞いて、ああやっぱりとなんとなく納得する。暑いからね、と新羅が笑って俺も笑った。それにしても俺、ここまでよくたどり着けたなぁ。あんなに弱ってたのに。しかも、そうだシズちゃんに会ったのに。
「それがね、臨也。君をここまで運んだのは静雄なんだよ。」
おへぇ、だとかそんな感じの言葉にしにくい叫びが喉から漏れた。なんだそれ、それこそ驚天動地、森羅万象台風一過じゃないか!
「意味わかんないよ。てか私のポジション取らないで!」
えええなんでなんで?俺がシズちゃんに助けられた?ないないないあの単細胞が?いやいやいや。あ、わかった。あいつ俺を本気で殺す気だ。弱ってる俺をほだして近づいたところをガスッといく気だ。「おい、」くっそー、フィードロット作戦とは化け物の癖に生意気だ。そうだ、今のうちに早く新宿に帰ろう。あいつの思惑通りにはいくか。体力バッチリ回復して逆に罠に嵌めてやる。どうだこれ、完璧、
「てめぇ、聞いてんのか。」
「何だよもう!俺はお前の思惑になんか、って、」
予想外に近いところにシズちゃんがいた。ようやく正常に回りだした頭が再びショートする。シズちゃんは固まった俺の額に手を当てて、熱は下がったみたいだな、なんてあり得ないぐらい平和なことを言っている。あ、そう言えば平和島だったな。いやいやそんなことじゃなくて。
「なんでシズちゃんが俺の心配してんの?あのまま放置してれば俺死んでたのに。」
テンパりながら俺がシズちゃんにそう言うと、シズちゃんはなんとも言えない顔をした。
「確かに俺はお前が嫌いだ。」
だよね。俺もだよ。
「でもなんか、お前がいなくなるのは嫌な気がしたんだよ。よくわかんねーけど。」
なにいってんの、シズちゃん。デレの使い所はここじゃないよ。暑さで頭沸いちゃったのかな。
「新羅、シズちゃんの頭がおかしい。早く解剖して脳味噌から取り換えて。」
「殺すぞ」
あ、そこは正常なんだ。でもこのまま殺されたくないから俺は帰る。そうして俺が立ち上がろうとすると、シズちゃんの手が俺の腕を掴んで無理矢理ベッドに引き戻した。寝てろ、とドスを効かせた声で凄まれる。
「これがシズデレか…」
「なにいってんの、新羅も暑さで頭沸いたの。」
俺は帰る帰るんだ。じたばたともがくが弱った体は化け物の片腕一本にも勝てない。いや、普段でも同じか。
「新羅、新羅助けて。俺このままじゃ死ぬ!」
「うるせぇ、お前には俺がいればいいだろうが!」
「本格的に頭沸いたんじゃないのシズちゃん。そんなの、」
まるで告白みたいじゃないか。おかしい。やっぱり暑いから、皆どうかしてる。訳がわからなくなって俺が黙りこむとどうしてかシズちゃんが覆い被さってきて、新羅が笑いながら部屋を出ていった。どういうことだ。
「え、新羅、新羅ー!」
「黙れ。俺だけ見てろ。」
「わかんないよシズちゃん。どうしたの今日。君おかしいよ。」
そんな、俺のことが好きみたいに。
「暑いからな。」
そういって笑った顔に、俺はなぜだか溶けそうな感覚に襲われた。抱き締められて繋がった部分が熱い。日差しよりこっちの暑さで溶ける方がいいな、なんて考えた俺も本格的に頭沸いちゃったのかもしれない。
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