街は人でごったがえしている。
「くせぇ。」
人と人の合間に嗅ぎ慣れた不快感を感じて無意識に黒髪を探す。
人通りの少ない道で男を見つけた。笑い声が聞こえる。どうやら電話をしているらしい。背後から近付いていくと、急に会話を止めて携帯電話を閉じた。雰囲気が変化していくのがわかる。サングラスを外しながら少し歩幅を広げて歩み寄っていく。
「やぁシズちゃん。こんな昼間っからふらふら徘徊なんて、ついにどこも雇ってくれなくなったのかい。」
くだらないことばかりによく回る口は相変わらずだが、振り向いた臨也の姿に違和感を覚えた。
何も言わずに顔を凝視する俺に、臨也は気味の悪いものを見るような目を向けてきた。
「え、何?熱でもあるの、まさか。」
一定の距離を置きながらこちらを伺ってくる視線もいつもと違う。止めていた足をさっきよりも広い幅で動かして近付く。その距離を狭めまいとする臨也の腕をつかんだ。
「離せよ。」
睨みつけても違和感のせいで効果が半減している。
「ノミ蟲のくせになんで眼鏡なんだ。」
なんかムカつく。ん?いや、よくわかんねぇけど違う気がする。
「横暴だね。俺が眼鏡かけてちゃ悪い?」
「いつもはかけてねぇじゃねぇか。」
「コンタクトだよ。」
今朝洗面所で流しちゃってさぁ。臨也はそう言ってわざとらしく溜め息を吐いた。眼鏡を押し上げる動作が余りに滑らかで、思わずその指先に目を奪われる。
「そろそろ離してくれない?」
再び動かなくなった俺に臨也は痺れを切らし言った。それでも俺はつかんだ腕を何となく離したくなくて、手により強い力を込めた。僅かなうめき声と共にレンズ越しの目が細められる。その顔に頭の中が真っ白になって、気付けば臨也を壁に押し付けていた。
「どうしてこうなった。」
「俺が聞きたいよ。」
自分が無意識の内にとった行動に混乱する。俺の片手で両手を拘束された臨也は眉をひそめながらこちらをじっと見ている。壁に当てていた俺の左手が勝手に動き、ベストの胸ポケットに入っていた携帯電話を取り出した。
パシャ
「おい、臨也てめえ動くんじゃねぇ。」
「いや、待てよ。おかしいだろこの状況。」
臨也はいつもの飄々とした態度からは想像もつかないほど盛大に取り乱している。
「うっせぇ。わかってんだよ、んなこと。」
でも、何で写真撮ろうとしてんのか俺にもわかんねぇんだから仕方ない。強いて言うなら、
「本能、か?」
「恐い、恐すぎるよシズちゃん。」
途方に暮れたような表情も悪くない。あ?なんだ今の。どうやらこいつが眼鏡をかけていることで俺は随分動揺しているらしい。
パシャ
左手の親指がボタンを押した。もちろん無意識だ。
「俺の弱味でも握ろうとしてんの」
もしかして、とひきつった笑顔で見上げられた。俺がそんなてめえみたいに卑怯なことするわけねぇだろ。思わず手に力がこもる。
「痛い痛い痛い!折れる折れる折れる!」
危険な状況に陥ると使える語彙が極端に減るらしい。涙目のまま睨まれた。うわ、その顔はクる。…いやいやいや何がだ。落ち着け。「てめえもそんな表情してんじゃねぇよ!」
「なんだよ!させてんのはシズちゃんじゃん!」
いつものように怒鳴ってみるが上目遣いで見られると上手くいかない。
「くっそ、可愛いんだよてめえ!」
堪えきれずに腹の底に溜まっていた感情を吐き出した。二人の間に微妙な空気が漂う。
「め、眼鏡萌え?」
恐る恐ると言った調子で臨也が発した言葉は俺の一睨みで消えた。「違う。てめえだから、」
「いやいやいや待とう。よく見て。シズちゃんの前にいるのは素敵で無敵な永遠のライバル折原臨也だよ?」
「くっ、首傾げてんじゃねぇよ!ああもうなんだてめえ。萌え要素の塊か。」
「えええ、反応すんのそこ!?もおお意味わかんない。」
意味わかんないのはこいつだ。何でだ。何で眼鏡かけるだけでこんなに可愛く見えるんだ。こいつ自身は相も変わらずただのムカつくノミ蟲なのに。
携帯電話を片付け、がっくりと項垂れた臨也の髪に触れる。
「ワックスなんか付けんなよ。」
そう言いながらも触る。臨也が何も言わないのが面白くなくて、そのまま髪をつかんで顔を無理矢理上げさせる。
「もうやだ。効果抜群すぎるだろ眼鏡。」
たぶんこれは生理的ではなく精神的なものからくる涙目だ。そう考えるとなんかイラッ…違うな、何だ。ああ、ムラッときた。
薄い唇に噛みつく。勢いよくそうしたせいで眼鏡が当たって少し痛かったが構わず舌を突っ込む。臨也は固まったまま動けないようでレンズの奥からじっと俺を見ている。ゆっくりと歯列をなぞり上顎を舌でくすぐると体が反応した。奥で縮こまっていた舌に絡ませると意外と抵抗なく臨也もノってきた。
どれくらいそうしていただろう。かしゃんという眼鏡が落ちる音でどちらともなく離れた。二人とも息は荒く、臨也なんて肩で息をしている。
「エロい。」
「仕掛けてきといてよく言うよ。てかもう眼鏡かけてないんだから離して。」
急かすように睨みつけてくる目は潤んでいる。なんだ、別に眼鏡なんかなくても。
「目、悪いのか。」
「当たり前でしょ。」
「俺のこと見えるか。」
そう言ってぐっと顔を近付ける。拘束していた手を離し、両手で頬を包み込む。鼻がくっつくほどの距離でもう一度尋ねた。名前を呼ぶと臨也は俺をまっすぐ見つめて「見えない。」
俺の今まで見たことのない笑顔で笑った。つられて俺も笑う。臨也はもうシズちゃんの前で眼鏡なんかかけない、と言ってそのまま目を閉じた。