世界が紫色に染まる。
 夕暮れの街は静かだ。俺は並木沿いに続く長い坂道を下っていく。ゆっくりゆっくり、一歩一歩、そこに道があることを確かめるように。
 いつかこの平穏を俺は壊す。世界がいかに面白いか、それを俺が見るためだけに。たいしたことじゃない。楽しむためなら世界なんて壊れたっていいし結果的に俺が死んだっていい。楽しみのためなら死ぬことだってたいしたことじゃないんだ。
 これは諦めだ。いくつものことを諦めながら俺は道を下っていく。
 ふと振り返ってみる。そこには誰もいない。ただ街が無秩序に広がっているだけだ。
 「街の意思、か。」
 ある男の言葉を思い出した。あれはある種の信仰だ。神がこの世界に存在するなんていう虚構に対するそれと同種のものだ。それでも神を信じるよりはよっぽどいい。
 立ち止まったまま俺は考える。今まで俺が諦めて捨ててきたものを街はきっと拾っている。そして、もしかするとそのうちのいくつかを俺に返そうとしてくるかもしれない。

 俺はまた歩き出した。坂道はまだまだ続く。たいしたものじゃない、俺の捨ててきたものなんて。それでも、
 「余計なことはしないでくれよ」
 呟いた言葉は誰もいない街に響いた。

 並木が途絶える。見上げると大きな月が空に浮かんでいた。街が照らし出されている。俺の影は情けないほど小さい。
 「そうだな、」
 足元に広がる街の影を見つめながら俺はまた1つ諦めた。
 もし俺が死ぬときぐらいは、
 「あんたのどれいのままでいい」

 嘶きが聞こえる。街は満足したように騒ぎ始める。
 坂道はまだ続く。俺はゆっくりと下りながら、そこに漂う日常を横目で見た。俺の諦めたものはすべてそこにあるのだ。