「シズちゃんシズちゃん、俺気づいちゃった!」
人混みが俺達の周りだけぽっかりと空いている。信号が点滅するのを目の端でとらえながらも俺は目の前のどうしようもない男から視線を逸らすことは出来なかった。
いつものように臨也を追いかけて、この辺で一番大きな交差点に差し掛かったときだった。横断歩道の途中、人混みに飛び込んでから臨也ははたと足を止めて振り向いた。
そこで話は冒頭に戻る。
「そうだよ、なんだ単純なことだったんだ。ああなんで今までわかんなかったんだろう!」
嬉しそうな声は雑踏に飲まれることなく俺の鼓膜に響く。俺は苛ついていた。もちろんこの男自身にもだが、こいつの意味のわからない言動に惑わされていることが嫌だった。くわえていた煙草を怒りに任せて踵で押し潰す。
こいつさえいなければ今頃は昼飯を食べられていただろう。こいつさえいなければ俺の昼休みはもっと長いだろう。こいつさえいなければ俺はまともに生きられるだろう。血が逆流するような感覚。奥歯を噛み締め俺は全ての元凶に近付いて行く。
「わかったんだよ、」
いつもは皮肉っぽく笑っている目に今日は違う輝きが宿っている。その光に呑まれないギリギリのラインに立って斜に構えた。
「俺は人間じゃなかったんだ。」
信号が赤に変わった。足早に人々が去っていく。それでも相も変わらず俺達は道の真ん中で立ち往生している。俺は臨也の言った言葉の意味を分かりかねてただじっとその目を見つめていた。
「なんで俺は人間が愛しくてたまらないのかってずっと考えてたんだ。」
この狭い世界に吐き気がするほどぎっちりと身を寄せあって生きる個々人の存在意義さえもはっきりしないような生物がこんなにも愛しくて可哀想で堪らない理由は俺にもわからなかった。むしろ理由なんてなくていいと、これは本能的なものであるとさえ思っていたんだ。そう、本能なんだよこれは。
「一つ仮定してみよう。」
例えば俺に本当に人間を愛するという本能があったとして、それじゃあこの感情は還元されないものなんだろうか。裏には表があるように必ず物事は対称的に出来ている。それなら俺が愛せば愛されなければならない。
「それなのに俺は愛されていない。」
この愛が本能だとしてもそれじゃあどうも矛盾するじゃないか。
「さてそこで俺は考えた。」
俺が与えた分と同じだけ返ってくるものは何だ。
クラクションを全身に浴びながらも臨也は動じない。空を仰いで一度目を閉じると口角を吊り上げてまた話し始める。
「俺が嫌えば同じだけシズちゃんは返してくる。」
俺と対等な存在は平和島静雄、つまり化け物だけだ。
「これが意味するところは何だと思う、シズちゃん?」
底光りする目が俺を捉える。俺は言葉を発することもできずただ首を左右に振った。一台の車が俺達の間を抜けていく。
「俺は化け物だったんだ。」
君と同じ。これだったら説明がつく。俺が愛されないのも世界が俺をのけ者にするのもシズちゃんが俺を嫌うのも。異族嫌悪と同族嫌悪は相反する。人間と化け物が交われないように、そこに確かに存在するが互いに干渉することはない。
「ああ、うん。完全に合点がいったよ。」
臨也は反吐が出ると言って、なぜか満足げに微笑んだ。
「おかしいことじゃなかったんだ。」
俺を中心に世界が回らないのも、君にわけのわからない感情を抱くのも。
「だからさシズちゃん、」
信号が青に変わる。また人々は俺たちを避けて流れ出す。
「行かないでね。」
どこへとも言わず臨也は踵を返した。全身を黒であつらえた『化け物』は人垣の影に飲まれていく。かつては『化け物』をあんなにも否定しようとしていたのに。早くも見えなくなったその姿をレンズ越しに追うばかりで、俺はどこにも行けなかった。