音のうねりが狭い室内を埋める。腹の底に響くようなドラムの音に合わせて俺は弦をかき鳴らす。動くままに、ほとんど無意識に指先で歌う。音はさらに複雑に流れ、混ざりそして淀む。

 「ストップ!」

 うねりは不意に声によって断ち切られた。左手で弦を押さえてから声の主を見ると、その視線は俺に向けられていた。

 「勝手にアドリブ入れるな。」
 「なんでだ。この方がカッコいいじゃねーか。」
 「ずれてちゃ意味無いんだよ!」
 臨也が俺にピックを投げつけると同時にハウリングが起こる。徐々に大きくなるその音に俺は眉根を寄せた。
 「リフもまともに弾けないの?」
 「お前こそ、出来ねぇくせにピック弾きなんかしてんじゃねぇよ。」
 ベースは指で弾くのがポリシーじゃなかったのかとなじれば臨也は苛ついたように声を荒げた。

 「指の皮捲れて痛いんだよ!」
 差し出された右手の指先は確かに皮が捲れ上がり薄い色の肉が見えている。痛々しいその様を自分でも直視したくないようで、臨也はじっと部屋の隅を睨み付けていた。
 目を合わそうとしない臨也を見ながら、俺はアンプのボリュームを落とす。
 「新羅、消毒液と絆創膏。門田、今日は練習終わりでいいよな。」
 ギターを下ろしながら門田の方を見ればもうすでにマイクを片付け始めていた。手に救急箱をった新羅は勝手に臨也のベースのボリュームつまみを捻る。

 「ちょっと待ってよ、三人とも。もうすぐライブなのに、」
 珍しく焦った臨也の声を聞き、俺たちは一斉に溜め息を吐く。

 「お前の調子を治すのが一番大事だろ。」
 「ベースラインがないと潰れるからな。」
 「というか臨也がいないと静雄と門田が潰れちゃうよ。」
 「「お前もだろ。」」

 軽く頭を叩くと新羅の眼鏡が飛んだ。

 「ふはっ、」
 堪えきれなくなったのか臨也の口から笑い声が漏れ出す。肩からベースを下ろすと傷だらけの人差し指を俺たちに突き付け
 「お前等俺のこと好きだな」
 なんて不敵な笑みを見せた。それが照れ隠しだとわかっている俺たちは、にやつきを止めきれずに臨也に馬鹿にされることになるのだった。

 帰りに飯でも食いに行こうという門田の案により俺たちはいつものファミレスに向かうことにした。

 「なんでいっつもシズちゃんチャリンコで来るの?馬鹿なの?」
 「んだと、お前なんか徒歩じゃねぇか。」
 「ドタチンのバイクに乗せて貰ってるからいいんですぅー」
 「てめぇ!俺の後ろには乗らねぇくせに!」
 「二人とも楽器持ってんのに出来ると思う?」
 「言ったな。」
 やってやんよ。闘争本能の言いなりに俺は臨也を無理矢理自転車の荷台に載せた。
 「ちょ、絶対無理!ベース落ちるベースが!」
 「しっかり持ってろ。行くぞ。」
 「ドタチン、ベース持って。っていないし!」
 「よいしょー。」
 「うへぁ!」
 なんてまぬけな悲鳴なんだ。こんな奴とバンドをやっていけるんだろうか。
 「まぁベースは上手いからねぇ。」
 後ろから追いかけてきた新羅は原チャリで隣を走っている。だけは、ともう一度なんとも愉快そうに後ろのまぬけを褒めたあとにこやかに俺の顔を見た。
 「思考を読むな。」
 「背中に書いてあっただけだよ。」
 爽やかすぎて憎たらしい。
 「え、なんで二人とも急に俺のこと褒め出したの?もしかしてモテ期きた?」
 説明するのも面倒だったのでスピードを上げて誤魔化す。俺の背中でくぐもった悲鳴が上がったのを聞いて、どうにも締まらない気持ちになった。
 「ライブ前なのにねぇ。」
 至極もっともな新羅の意見に俺は笑わざるを得なかった。

 「俺、盛りだくさん苺パフェ!」
 呆れたように溜め息を吐いたのは門田だけではない。
 「飯を食え。」
 「臨也の好きなお子様ランチもあるよー。ほら見て、オモチャも付いてる!」
 今なら水鉄砲がついてくるらしい。
 「馬鹿にしてるだろ。」
 「俺、ハンバーグにするわ。」
 「無視が一番辛いんだよ、シズちゃん!」

 結局臨也はお子様ランチを選んだ。

 「プリンはあげないよ?」
 あまりに似合いすぎて逆に怖い、なんて思いながらぼんやりと臨也を眺めているとにやりと笑ってそう言われた。小馬鹿にしたような態度も何もかも昔から変わらない。年を重ねてもたぶん俺たちの関係は変わらないだろう、と年寄臭い考えに一人で笑った。


 ライブの前日はいつも眠れない。欠伸を噛み殺しながら俺は自転車を漕いでライブハウスへと向かう。ロゴの入ったTシャツにチノパン、そして長年使い込んだギターを背負って商店街を通り抜ける。あいつらとバンドを結成したのは高校生の時だ。ちょうどこんな感じに晴れた日に突然臨也が言い出したこと。それが今まで続くなんてなぁ、と感動してから俺自身年をとったことを感じた。そういえば全員年をとるのだ。
 「変わんねえ奴もいるけどな。」
 ひとりごちて見上げれば空の青さが目に染みた。

 ライブハウスの前には俺と同じTシャツを着た男が3人。遅い、と口からは不満を漏らすが皆どことなく楽しそうだ。

 「じゃあ行こうか。」
 それぞれに荷物を抱え立ち上がる。臨也の指先はかさついてはいるがもう大丈夫らしい。一度二度手を握ると臨也は歩き出す。

 端から見れば馬鹿馬鹿しいことかもしれない。それでも俺たちはこうやって成長しないまま世界を闊歩するのだ。
 背中の重みをしっかりと感じながら俺は薄暗い室内へと踏み込んでいく。あと数時間でこの世界は俺たちの音で埋まるだろう。