「そぉなんですよぉ、お父様。甘楽困ってるんですぅ!」
 油断すればひきつれようとする表情筋を叱咤して、薄汚れた頭陀袋どもに愛想を振り撒く。血も繋がらぬ父は私を疑う脳もなくいかにも下卑たと形容するに相応しい笑みを浮かべてこちらを見やる。やれやれこれが仕事とはいえ、なんとも好きになれそうにない。くそったれな立場を捨ててしまえればどんなに楽か。何度となくそう思いはしたが実行に移すにはまだ足場も火種も足りない。実力だけでこの状況をひっくり返すのは簡単だけどそれでは面白くないし、何より素敵で無敵なお嬢様としての私の名前は表より裏で売る方が後々役に立つだろうから、今日も今日とて私は効果音付きでにっこり笑うのだ。

 「あららぁ、もうこんなお時間ですねぇ…。それじゃ、甘楽はお先にお暇させていただきます。」
 寝不足は乙女の天敵ですもの、なんちゃって。私が立ち上がると見るや真っ先に椅子と手を引いた男にだけ見えるよう舌を出し、ドレスの裾が一番綺麗に揺らめく速さを保ちながら部屋を出た。

 「つっかれたー。いやぁ割に合わない仕事ってこれだから嫌なんだよねぇ。この世界の全てはギブアンドテイクで成り立ってるってのに。だからこそ私は人間を愛してるんだけどね、人ラブ!あ、シズちゃんおんぶして。」
 「自分で歩けよ、ノミ蟲女。」
 「雇い主に対してひどくないかい、君。ヒールが低くて歩きにくいんだ。」
 抱っこで妥協するから。早くしてくれといつもより高い位置の首に手を回す。舌打ちしなかったことは褒めてやろう。
 所謂お姫様抱っこでやや乱雑に私を運ぶのは柄の悪い金髪。長きに渡り天敵として、執事として、そして無二の存在として私を掴んで逃がさない。
 胸板に額を擦り寄せると易々と顔を赤らめるとこなんかは昔と変わらない。
 「毎度、御苦労。」
 さっきとは打って変わって自然に黒い笑みをこぼしつつ触れれば存外にシズちゃんの頬が熱くて余計におかしくなった。図体ばかり大きくなっても根本は同じだ。

 「相も変わらず私のことが好きかいシズちゃん。」
 「そっくりそのまま返してやるよ。」
 「なるほど愚問だ。」
 軽口に付き合えるくらいの成長は認めてやってもいいかもしれない。


 本邸の、無駄と思えるほどに豪奢なドアを蹴り開けて離れまでの小道をゆっくり進む。城に着いたらご褒美をあげるよ。囁いたはずのその言葉は広い庭に響いて消えた。

 彼とこういう関係になったのはいつごろだったろうか。
 出会ったのは高校時代。私は番犬に対して眉をひそめ、彼は私の作り笑いに舌打ちした。第一印象は最悪と言ってもいい。昔の二人に今のことを言えばどんな顔をするか目に見えるほど、私たちは険悪だった。
 明確な区切りは思い出せないし、あったかどうかさえもわからない。いつの間にかいつも側にいるのが当然になっていた。そして気が付けば私はシズちゃんが好きだった。言葉にするとなんてシンプルで下らないんだろう。それでもこれが私にとっての唯一のイレギュラーだったことは否定できないのだ。
 ねえ、と呼び掛けると視線だけがこちらに向けられる。あえて私は近付いてくる離れの、少し古びた外観に目をやった。
 「君がいなきゃ、私は一生あそこに閉じ込められてたんだろうね。」
 思考もせずただ閉じ込められて無為に時間を過ごすだけの日々。私が人間に憧れたのはきっとそのせいだ。怒り、喜び、悲しみ。当たり前にあるはずのそれらが私にはひどく眩しかった。
 それゆえに、欲しくて堪らなかったものを与えてくれた彼を手放すことなど出来やしないのだ。

 「望むなら俺はいつだってお前を外に出してやれる。でもお前が欲しいのはそういう自由じゃねえんだろ、甘楽。」
 鼓膜を震わせる声は優しくて、抱き締める手は温かい。いつまででも側にいると言ったその言葉を疑うことは、きっと私が生きているうちにはないだろう。

 「任せてよ、シズちゃん。引っ掻き回して火を付けて、全部思い通りにしてやるさ。」
 黒幕として蚊帳の外に立てたら完璧。そうして彼と死ぬまで自由に羽を伸ばすんだ。

 「それが折原甘楽の、君の恋人としての喜びだよ。」