その時、もしかしなくとも俺は苛ついていた。
緩慢な動作で弦を押さえ、歌うよりも静かに口を開くと雁首並べた男達の息を呑む音が聞こえた。追い縋ろうとする手を払い俺は語気を少し強くする。
「もう一度だけ言う。俺は下りる。」
ぽかんと開いたままに唇を震わせ男達は何か言いたげにこちらを見る。吸いなれた煙草に火を点けた。いつもと同じ物のはずなのにひどく不味く感じる。雑味の多いそれを楽しむことは今の俺には出来そうもなかった。
「冗談じゃない。」
俺が煙を吐き出すと同時に堰を切ったかのようにギターを抱えた男が叫んだ。そうとも冗談なはずがない。備え付けのテーブルに拳が打ち付けられるのを他人事のように見ながら首を振る。
「自分が何言ってるかぐらいはわかってるよ。」
「それの方がよっぽど質が悪いさね、旦那。」
そう言って隻眼のドラムは手の中の空き缶を握り潰した。声に抑揚が無いせいか目付きの鋭さが倍増したようにさえ思われる。
煙草を空いたビールの缶に落とすと最後に足掻くように火種が音を立てた。覗き込んだ底には闇しかない。俺は再び隻眼を見、そして深く息を吐いた。
「俺達は歳を取りすぎた。わかるだろ、もうガタがキてる。こないだのシングルの評判を聞いたか?『時は流れる』、だとさ。」
丁度いいじゃないか潮時だ。俺達は確かに昨日までの時代を作ったし、一夜で使いきれないほどのあぶく銭も手に入れた。このまま高飛びみたいに散り散りに消えてしまえばこのバンドの音は伝説になれる。
「どの道俺はもう生きた音を作れやしねえんだ。」
どれだけ酒に溺れても浮かんでた曲が今じゃクスリを食っても浮かぶ気がしない。つまり言うところの、自信喪失だ。したくないわけじゃない。したくてもできない。悔しくないわけがないだろう、と俺は胸中吐き捨てた。
俺だって音楽が好きだ。
唾もひっかけられないぐらいの悪ガキだった俺を変えたのはたった一曲の歌だったが――言いたかないがこれが運命ってやつだったのかもしれない――それから今まで俺は数え切れないほどの音楽と出会い、世界の広さを思い知った。
初めは何もかもが新鮮で、自分でも呆れるほどに貪欲だった。仲間が出来てからはさらにそれは加速して4人揃えば出来ないことなどないとさえ思えた。
それがいけなかったのかもしれない。
「次のライブまでにアンタが思い直してくれることを祈るよ。」
ボーカルの男は少し嗄れた声でそう言って扉の向こうに消えていく。続いて、いつの間にギターを片付けたのだろう、ギタリストは俺に一瞥だけくれてからその後を追っていった。
俺は立ち上がり使い古したベースのネックを掴む。手にしっくりとよく馴染む相棒は静かに俺を待っていた。内外から聞こえる叫びに耳を塞ぎつつストラップを外してケースに仕舞い込むと、なんとなくほっとした気分になって俺は小さく息を吐いた。
「こんなことでくたばるようなタマじゃねえって、わかってんだけどな、」
俺の背後でドラマーが苦笑している。
「それでも俺達は怖いんだよ。一人でも欠けりゃあ、このバンドの音楽はなくなる。戻ることも進むことも出来ねえ。とどまってただ朽ちていく怖さを、アンタだってわかってんだろ。」
俺は何も答えなかった。肩にベースを掛け踵を返して出口を目指す。わかってるんだ、わかってるんだけれども。それでも俺は足を止めることは出来なかった。
扉を開く。
「俺達は若くない。それでも立ち止まるにはまだ若すぎる。」
感情を押し殺したような声だった。叫び出したいのは俺も同じだ。
「次で最後だ。」
背中越しに言った言葉が彼に伝わったかはわからない。しかし確かにそれは俺自身に言い聞かせられ、重く、まるで悪酔いしたかのように思考を鈍らせていった。