その一風変わった組織が生まれたのは、彼がまだ高校へ上がる前のことだ。

  始まりはとある何の変哲も無いチャットルームからだった。数人の決まったメンバーと会話するだけの閉鎖的で狭小な空間で、誰かがそれを口にした。

 『もし実体のないバンドがあったとして、それはどこまで有名になるのか?』

 ちょっとしたお遊びのつもりだった。メンバーの誰もが「いつもみたいにすぐに終わるんだろう」と、口に出しはしなかったが思っていたし、しかし反面馬鹿馬鹿しい考えだと面白がっていた。つまりは誰もそれを本気にしてはいなかったのだ。眠れない夜の時間潰しにそのバンドは生まれた。

 彼――竜ヶ峰帝人もそのメンバーのうちの一人だった。
 帝人も例外ではなく、その遊びが一過性のものだと考えていたし、ましてや後に彼にとってそのバンドが彼にとってそれほどまでに大きな存在になろうとは思いもしていなかった。

 ただその時彼らの頭にあったのは好奇心。まるで子供が大人たちに内緒で秘密基地を作るみたいな、そんな感覚だった。

 その架空のバンドに『ダラーズ』という名前を付けた後、彼らがまず始めたのはサイト作りだった。
 ダラーズには実体が無い。
 彼らが一番頭を悩まされたのはそこだった。形が無いということはつまり、目に見えるもの――たとえばライブなんかによって実力を計られないということであり、それはそのバンドの位置付けを難しくする。固定のファンがいないことはジャンルなどに囚われない自由な曲調を生むが、反面評価されづらい。ネット上だけで活動する難しさとはこれである。匿名で活動でき、また不特定多数に見られやすいという利点はあれど、評判を広めるには人づてを頼るしかない。
 彼らは悩んだ。これでは「有名にする」という当初の目的が果たせないどころか、楽しめる段階になるまでしっかりしたものはできないだろう。たとえ悪ふざけだろうとやるなら全力で、というのが彼らのモットーである。そこには『飽きた』という言葉はあれどしかし『諦める』という言葉はない。
 何時間も議論して、チャットログが夥しい長さになった頃、彼らがようやく考え出したのが、ダラーズという常識外れのバンドの基礎である。それは後に帝人が黒沼青葉たち固定メンバーを中心に活動していく上でも変わっていない。ここをダラーズにとっての一つの起点と言ってもいいだろう。

 ダラーズの形式は、世間一般に言う「バンド」とは少し違っている。
 まず規定として、ダラーズが「活動時」のメンバーは四人である。
 「活動時」――これは例えば曲を作るときや、架空ではあるがライブに参加するときのことだ。基本的にダラーズと呼ばれる「バンド」はギター、ベース、ボーカル、ドラムの四ピースで成り立つ。
 しかしそれは「活動時」だけの、いわば表面上だけのものであり、実際にはダラーズを構成しているのは不特定多数の人間(もしかするとそれ以外も含まれているかもしれないが)である。
  
 何のことかよくわからないかもしれない。バンドというものに今まで触れてきた人間ならなおさらそうだろう。

 つまり、言ってしまえばダラーズは、実際のところ「バンド」ではないのだ。

 一つの組織というのが正しいだろうか。コミュニティと言ってもかまわない。

 ホームグラウンドであるダラーズのサイト上でメンバーを募集し、そして「活動時」にはサイトに活動の内容を告示して表面上で動く四人をランダムで選抜する。
 ダラーズの「活動」は全てのメンバーを動かすものではない。しかしメンバーの誰にでも選抜される可能性がある。ダラーズメンバーには上下関係は無いし、そもそも相手と深く交流する必要も無い。全体においてダラーズには決まったジャンルなんてものもないしプレイスタイルもパフォーマンスも無い。
 ダラーズが無色と呼ばれるのはこういった由来である。
 ライブごとに、曲ごとにメンバーも雰囲気も違う。ライブ時に初顔合わせなんてざらだし、曲を作る段になって意見が合わず途中放棄することもよくある。
 バンドというものを形態化したことで、個々人の人間性ごちゃまぜになって失われる。
 そうして出来たのがダラーズなのである。

 彼らが当初に作ったルールは三つ。
 一つ、メンバーは名前や顔や所属バンドなど「自分」と特定される情報を出さない。
 一つ、ダラーズに所属するメンバーのうちに自分の知る人間がいたとしても干渉しない。
 一つ、メンバー同士お互いの素性を探らない。

 彼らは徹底的にバンドというものが内包する人間らしさをダラーズから隠していった。研ぎ澄まされた曲を作るにはそれが一番いいというのが建前だったが、本当のところはお互いのことを探られてしまえば彼らの作った張りぼての城はすぐに壊れてしまうとわかっていたからそうしたのだった。
 「余りに胡散臭い。」
 ダラーズの形式がこうと決まったとき初期メンバーの一人がふとそう口にした。笑い混じりの言葉だったとは言え、確かにそれは事実だった。こんなものにそう上手く人が集まるのだろうか。皆がそう少し心配し、また一方で期待して、またどこかで諦めていた。

 しかしそれでもダラーズが段々と知名度を増していったのは、何よりも音楽をやっている人間たち自身がダラーズを気に入っていったからだった。
 形の無いバンドであるダラーズはそれ自体にある意味価値が無い分、自分の実力が問われる。実力が無ければ単純に不評を買い、また上手くいけば喝采を受ける。そこが面白いと言って、ダラーズはバンドマンたちに身内を通して広まっていったのだ。
 自分の力試しにダラーズを利用する者もいれば、純粋な好奇心で入ってくる者もいた。ダラーズはバンドマンたちにとって、自分自身を明確にするための一つの手段となっていった。

 彼ら、創設メンバーがいた頃の主な活動はサイト上に音源をアップロードすることだった。
 なんの因果か、彼らは皆、ギターやベース、ドラム、キーボードなどの楽器をやっていた。それも上っ面だけのものではではなく、結構年季の入った演奏をするような腕前の。帝人はといえば彼らに勧められて初めてギターに触り始めたのだからほとんど弾けないようなものであったが、しかし彼の作る曲はメンバーにおおむね好評だったし、後に彼が本格的に「ダラーズ」として活動していく際にもそのセンスは遺憾なく発揮されていくのだから、あながち彼が主要メンバーだというのも偶然ではなかったのだろう。
 ともかく彼らは帝人の作った打ち込み音源を生音の音源に変え、ダラーズのサイトへと「活動履歴」として置いていった。

 一方で、ダラーズ自体を有名にすることにも余念は無かった。トップページに鍵を付けたことによって「秘密基地」らしさの増したサイトのURLを各所に貼り付け、また内内に「このサイト知ってる?」なんて言い草で周りにこのサイトとパスワードを教えて広めていく。そうしてサイトに訪れた人々が音源を聞き、じわりじわりとではあったがダラーズの評判は増していき、それに伴ってメンバーも増加していった。

 そうしていくうち、帝人は次第に「もしかするとこれは退屈まぎれなんてレベルのものじゃないんじゃないか」と思い始めるようになっていった。実際、そのときにはダラーズのメンバーは、彼の知るアーティストの数を優に越すほどの人数にまで膨れ上がっていたし、サイトの掲示板にはライブ活動を希望する声が絶えなかった。
 帝人は歓喜した。自分たちの作ったものがこうして受け入れられ、どんどん大きくなっていく。それが楽しくてたまらなかった。
 しかしメンバーの全員がそれをよく思っているわけではなかった。それどころか、帝人以外の初期メンバーで喜ぶものは段々と減っていったのだった。

 「遊びのつもりだったのに、ここまで大ごとになるなんて。」
 「これ以上広げたら取り返しのつかないことになる。俺は降りる。」
 「もうやめようよ。今ならまだ『冗談でした』で済むし。」
 「怖い。さよなら。」
 爆発的にダラーズメンバーが増え、今後の方針を話し合おうと帝人がいつものチャットルームに入ると、ログにはそれらの文字の羅列だけが残されていた。誰も本気にしてはいなかったのだ。帝人はそれを思い出した。暇つぶしに生まれたバンドが形を成し始めたことに違和感を覚えなかったのは帝人だけだったのだった。

 創設メンバーが去り、チャットルームを閉じてしまってもなお、帝人はダラーズとしての活動を続けた。ダラーズのメンバーはどんどん増えていく。実体の無かったバンドが段々と形を求めるようになってきている。

 「それならば。」
 帝人は決意した。彼の進学先が東京へと決まった頃のことだった。
  「それならば僕がダラーズをバンドとして周りに認めさせてやろう。」
  迫り来る春に、彼は身を震わせた。


 ***


 「ダラーズがライブするらしいですよ。」
 それからしばらく後、新しく入ったチャットルームで彼はそう口にする。東京に引っ越す前日のことだ。意を決して口にしたその一言は瞬く間にネットの網状を伝わっていった。もう後戻りは出来ない。帝人は息を呑む。あらゆる掲示板で、あらゆるバンドの人間が、目を輝かせてこちらを見ている。恐怖すると同時に帝人は心を躍らせた。これほどまでにダラーズは待ち望まれていた。創始者として嬉しくないはずがない。
 次の朝目を覚ましてもなお心臓の跳ねるのは止まらなかった。

 そんな時だった。
 彼があの男に出会ったのは。

 「久しぶりだね。紀田正臣君。」
 東京見物に行こうと言って帝人を連れ出した親友をフルネームで呼び止めたのは実に爽やかな好青年だった。
 「珍しいっすね、池袋にいるなんて。」
 「ああ、ちょっと友達と会う予定があってね。」
 そう言いながら男は肩に掛けた楽器を持ち直しながら帝人の方を見る。
 「それで、君は?」
 一見バンドとは縁の無いような、どちらかといえばインテリ臭い男の楽器を物珍しげに見詰めていた帝人は不意の言葉に面食らって目を泳がせる。男はそんな彼の様子を面白がりながら、先に自らの自己紹介をした。
 「俺は折原臨也。よろしく」
 その名前を聞いて、帝人は再び目を見開いた。なるほどこれなら紀田の様子が先ほどからおかしいのも納得がいく。彼はこの辺りのライブハウスでは随分と有名なべーシストで、紀田をこちら側へ引き込んだ張本人でもあるのだ。
 「正臣君も受験終わったことだしさ、記念にライブでもしようじゃないか。」
 紀田の肩を軽く叩きながら折原がそう言う。紀田は相変わらず少し緊張した面持ちで「いいですね」と言ったきり臨也の方をぼんやり見詰めるばかりだった。
 ――正臣のこんな顔初めて見た。
 帝人は少し意外に思いながらも、目の前にいる折原臨也という男がどれだけ自分とは異質な存在なのかを認識した。
 しかし彼はまだ気付いてはいなかった。
 折原臨也の目に、初対面の者に対するもの以外の好奇心が潜んでいることを。
 そしてその時まさに、非日常が始まったことを。
 彼はまだ知らなかったのだ。


 ***


  その後、折原臨也について帝人が知ったことはあまり多くは無かった。
  折原はべーシストで「来神」というバンドに所属していること。意地っ張りの紀田が認めざるを得ないほど上手いということ。自分たちより年上なこと。もうすぐメジャーデビューするという噂が出ているということ。
  個人的な情報はほとんどわからなかった。紀田曰く「どっかで情報操作してんじゃねえの」ということだったが、あの笑顔の裏でそんなことをしているとも思えず、帝人はただ首を傾げるばかりだ。

 「折原さんって、本当はどんな人なの。」
 「どんな人って言われてもなぁ。」
 「正臣、あの人と仲いいんでしょ。」
 「あの人は自分のことに興味ないから話さないんだよ。」
 紀田は帝人の隣を歩きながらそう答えた。友人の言うほどあの人は悪い人には見えなかったんだけどなぁと帝人は内心思いながら、黙ってただ足を動かしていた。そうしてしばらくの間お互いに何も言わずにいたが不意に何か思いついたかのように紀田が顔を上げ、帝人を見つめる。
 「お前、臨也さんにあんま興味持つなよ。殺されるぞ。」
 「殺されるって・・・。」
 そんな大げさなと帝人は苦笑した。たとえ折原臨也という男が、紀田の言うように危険な人物だとしてもそこまではしないだろう。いつも通りオーバーだなと帝人は笑っていたが一方の紀田は至って真剣な表情のままだ。
 「いや本当に。『池袋最強の男』に目付けられたら無事じゃすまないんだって。」
 「『池袋最強』?」
 あの細身の、というよりいっそ痩せぎすな男が。信じられないと帝人は驚いて友人の方を見た。
 「いや、臨也さんじゃなくって。あの人のバンドのギタリストだよ。」
 「へえ、その人そんなに上手いんだ。」
 「喧嘩が。」
 「そっちなの!?」
 「いやギターの腕も相当だけどな。まぁでも標識ねじ曲げるギタリストなんて早々いないだろ。」
 噂によれば、その平和島静雄という男は片手でドラム缶を持ち上げデコピンで人を吹っ飛ばし缶蹴りみたいに足で車を転がすらしい。耳に慣れない表現と余りに信じがたい事柄の数々に帝人は笑うしかなかった。
 「本当なんだって、信じてないだろ。あの人たちのライブで、一回だけだけど静雄さんが片手でギター折ったの見たんだよ。」
 「嘘でしょ?」
 「真顔で嘘吐けるほど大人じゃねえよ。」
 納得はできなかったが、それはどうやら事実らしいと帝人は思い知った。この世界には自分の知らないことがまだまだあるんだなぁなんて彼らしい月並みなことを考えながら歩いていたが、友人が立ち止まったのに従って帝人も立ち止まる。
 「何回も言うようだけどさ。」
 紀田が帝人を心配げに見つめる。
 「俺は音楽が好きだったから臨也さんに誘われてすんなりバンド始めたけどさ、お前は誘われたとしても無理にやんなくていいんだぜ。」
 「わかってるよ。」
 相変わらず過保護なんだからと茶化すと紀田も釣られて少し笑って肩を竦めた。
 「臨也さんは好奇心で動く人だから。そこだけは気を付けろよ。なんせあの人ダラーズの創始者だって噂もあるんだから。」
 帝人は驚いて顔を上げる。ここでその名前を聞くとは思わなかった。そして折原臨也とダラーズとが繋がるとも。言葉を失っている帝人の様子を、紀田は彼がダラーズを知らないのだと判断しダラーズについての軽い説明を始めた。
 「今までネットだけで活動してきたんだけど、ついにライブ活動も始めるとかで最近話題になってんだよ。」
 「正臣はどうやってその情報を知ったの。」
 「友達がダラーズ入っててさ。そこの掲示板に書いてあったんだと。」
 帝人がライブについての情報を流したのはあのチャットルームだけだ。掲示板に書いた覚えは無いのにと内心怖気立つ。
 ――ダラーズはもう止まらない。
 彼はそこで改めて自覚したのだった。


 ***


 帝人が折原臨也に再び出会ったのは、正臣に連れられて訪れたライブハウスでだった。
 その日は丁度よく晴れた、雲一つ無いような天気で、よく澄んだ空気に音が響くような夜だった。

 帝人は息をのむ。
 言葉を探すのが無駄だと思うのはそれが生まれて初めてのことだ。目の前のステージで繰り広げられる光景は、親友の言うとおり「非日常」そのものだった。
 あんまり大仰な友人の言葉を半分冗談にとらえて苦笑しながらやってきたはずなのに、気付けばそのライブに帝人は夢中になっていた。
 ボーカルががなり、金髪のギタリストが空気を裂いて、腹の底をドラムが揺らして、ベースが踊る。彼が見たのはそんな光景だ。
 それは彼にとって余りに衝撃的で、そしてダラーズにとっても変化を予期させる出会いだった。

 詰めた息を吐くことすらできず、彼はただひたすらにステージを見つめていた。折原臨也はベースを抱え、踊るように音を響かせる。
 不意に折原がそちらを見る。帝人はただ目を見開いて見つめ返すことしかできない。
 ――おいでよ、ここまで。
 そう声が聞こえたような気がした。帝人は、その時にはもう自分は踏み出してしまったのだということに気付いた。
 ダラーズはもう一つのバンドなのだ。
 形は無くても、ここに確かにダラーズは存在する。

 「それならば。」

 彼が呟いた言葉は誰にも聞こえなかったはずなのに、ステージ上で男が笑うのを、確かに帝人は見た。

 ***

 ライブが終わり、友人と別れた後、帝人は再び臨也のもとを訪れた。

 「よく来たね。」
 臨也はそう言ってソファに腰掛けたまま首だけを帝人の立つ、ドアの方へと向けた。額にはまだ汗が浮かんでいて、艶やかな黒髪がところどころ貼り付いていた。
 部屋の中には臨也以外誰もいなかった。メンバーの楽器と煙草の残り香と、臨也だけが取り残されていた。

 「臨也さん、ダラーズって知ってますか。」
 帝人がそう切り出すと、臨也は落ち着いた素振りで頷く。その顔には笑みが浮かんでいて、まるで帝人がそう言うのを待っていたかのようだった。
 「君がこちらに来るのを楽しみにしてたんだ。」
 「あなたはダラーズの創始者なんですか。」
 「おや、君は知っているくせに試すようなことを言うんだね。」
 「どういうことですか。」
 「ダラーズは俺にとっても大切なものだからだよ、田中太郎君。」

 臨也が口にしたその名前は帝人のハンドルネームであり、つまりダラーズ創始者を示すものでもあった。

 「君が、いや君達がダラーズを作った頃から俺は待ってたんだ。こうしてダラーズが俺の手の届くところまで来るのを。」
 臨也はそう言いながら立ち上がる。
 「帝人君、よく来たねここまで。」
 「僕は、これからやっていけるでしょうか。」
 「やっていこうと思うならね。非日常は日常とは違って望むものに対しては優しいよ。」
 臨也は不安げな顔をする帝人に微笑みかけながら言った。
 「大丈夫。君ならやれるさ、田中太郎君。努力する人間は成長するんだ。」
 「臨也さんが言うと胡散臭いですね。」
 「俺もそう思うよ。だけどこればっかりは事実なんだよねえ。」
 悪戯っぽく臨也は笑い、釣られて帝人も笑った。自分には関係のないものだと思っていたものがどんどん近付いてくる気配に背中がぞくぞくする。それは恐怖ではなく、単純な好奇心。
 「ねえ、帝人君。音楽って素晴らしいだろう。」
 いつの間にか毒されていたのかもしれないと帝人は思った。そうでなければまだ未来の出来事をこんなに楽しみに思えるはずがない。

 「これからダラーズというバンドをやっていく君に俺からこれを渡しておこう。」
 ゆっくりと臨也は帝人のほうへ足を進める。帝人は黙ってダラーズのライブ風景について考えていた。
 手渡されたのは大き目のガスマスクだった。
 「ダラーズの規則は三つ。馴れ合わない探らない正体を見せない。それならこうするしかないだろう。」
 臨也は手に持った能面を自らの顔に宛がいながら言った。
  「君の作ったダラーズは、こうして覆面越しに存在していく。そういうバンドもいいじゃないか。」
  頭に風景が浮かぶ。
  顔の見えない四人組がそれぞれに好き勝手な音を響かせながら歌う。フットライトに照らされて長く伸びた影が無尽に踊り、つまらない夜を音で埋めていくのだ。

  「これからよろしくね。田中太郎君。」
  臨也が片手を差し出した。
  「ええ、こちらこそ。甘楽さん。」
  「なんだ、気付いてたんだ。」
  「自信はあんまり無かったですけどね。」 
 帝人はその手を握りながら笑顔を作った。その表情はいつもの彼のものであったが、しかしもうすでにどこか現実離れした色を見せ始めていた。

  「よく来たね。」
  臨也はもう一度そう言って、こちら側へと足を踏み込んだ少年を歓迎した。

 ***

 「なんだシズちゃん、そこにいたの。」
 「お前が中々来ないから迎えに来てやったんだろうが。」
 「それはご苦労なことで。」
 帝人が帰った後、ドアの脇に男が立っているのを見つけ臨也は肩を竦めた。独占欲が強すぎるのも考え物だな。そんなことを思いながら彼は散らかった控え室内で上着を探し始める。
 「お前が寿司がいいって言ったから今日のアフター寿司にしたのに。」
 「はいはいわかってるよ。ねえシズちゃん、俺のコンタクトケース、」
  「ベースケースのポケット。」
  「さすがだね。」
  コンタクトレンズを外し、眼鏡を掛ける臨也を眺めながら静雄は黙って待っていた。
  「なぁ。」
  ふと静雄が口を開く。臨也は床に転がっていたシャツを拾い上げながらそちらを向いた。
  「お前、次はどんな悪いこと考えてんだよ。」
  静雄のその台詞に臨也は一瞬驚いて目をぱちくりさせていたが、その後一瞬のうちに満面の笑みを浮かべた。そうして片手にシャツを持ったまま手を広げ、大げさな動作で口を開く。
  「とんでもない。俺はただちょっと彼に火種を与えてやっただけさ!」
  「お前に巻き込まれた奴は碌な目に遭ってねえのは確かだけどな。」
  「でも楽しいだろう?俺は君達のそんな姿を見るのが好きなんだ。」
  ああまた俺たちみたいな被害者が出るのか。静雄は先ほど頬を綻ばせて隣を駆け抜けていった少年の顔を思い出す。彼は自分と同じではないからどうなるかはわからないが、せめて俺たちのように馬鹿馬鹿しいことだけをやっては欲しくないと思った。

  「ねえシズちゃん。これからきっと楽しいことが起こるよ。」
  その声に静雄は頭を上げる。臨也はそんな静雄の顔に、先ほどの能面を押し付けながら耳元で囁いた。
  「俺が引っ掻き回して、この街を楽しいことだけで埋めてあげる。」
  また馬鹿なことを言い始めたと静雄は内心溜息を吐く。しかし実際、それを待ちわびる気持ちがどこかにあるのを否定することはできない。
  何も言わないことを肯定と捉え、臨也は微笑んだ。仮面越しに静雄に口付けをしてから臨也はまた言う。
  「楽しいことだけやっていければいいね。」
  臨也の視線の先で、能面は変わらずに笑顔を湛えていた。