哄笑、大笑、爆笑。
もう15分も経とうと言うのに未だ新羅の笑い声は絶えない。
「あはははは!」
あはは、死ねばいい!
ソファの右端で脚を組みなおし一瞥をくれてやったが新羅は相変わらずの調子だ。わざと響くように舌打ちをすれば左端からも同じように舌打ちが聞こえた。
「新羅死ね。」
「爆発しろ。」
「思いは形にすると人を傷つけるんだよ?」
その口振りにそぐわずやはり新羅はにやついている。いいおもちゃを見つけたとその目は爛々と煌めき、それは貪欲な人間の心を体現したかのように濁っていた。まさに、俗に言う悪ノリの輝きを呈していたのであった。
「家が燃えた、だってさ、ふふふ。」
笑えない事実はこいつのツボらしい。俺の不快指数は上昇傾向にある。
「二人揃って!仲いいよね!」
「俺だってこんなノミ蟲と好きでお揃いになったわけじゃねぇ。」
「ふん、癪だけど同感だ。シズちゃんも新羅も焼け死ね。」
二重の舌打ち。そして響く笑い声。この連鎖はいつ終わるのだろうと考えて俺は今日何度目かの重い溜め息を吐き出した。
『家が燃えた』
今俺が見たくない5文字ランキング上位に属する言葉はそのまま俺とシズちゃん、二人の現状を表すものだったりする。シズちゃんの住んでいた四畳半のいつ潰れるともわからないようなアパートは全焼。建て直すちょうどいい機会じゃないかと思う俺に対し家主のバーテン男は大変ご立腹で、窓から外を見れば彼の八つ当たりの被害者たちの哀れな姿が目に入る。
(たしか信号機って高かったよなぁ。破産すればいいのに。)
八つ当たりである。口には出さないが俺だって家を燃やされれば頭にくる。ただ俺の場合、実際に寝泊まりしているところではなく、何かあったときの退避場所として使っていた本当は誰も知らないはずの隠れ家を燃やされたから怒りよりも恐怖の方が大きい。人間が好きだと言っても我が身に勝ることはないのだ。
ニュースで火災現場となった隠れ家を見てすぐに俺は最小限の荷物を抱えて飛び出した。
『お前なんていつでも殺せる』
きっと向こうはこう言いたいのだろう。しかしそう簡単に思い通りになって堪るか。
えてして反撃の狼煙を上げるべく俺が選んだ拠点が新羅の家であった訳だが、そこが運の尽きる場所となろうとは思いもしなかった。
「シズちゃんが床に寝なよ。」
「なんでだよ。俺だってベッドがいい。」
「君いっつも布団じゃないか。俺馴れてないから腰痛めそう。」
「ねーよ。どんだけ軟弱なんだよてめえ。」
「死ね。」
「お前がな。」
寝床争いは熾烈を極める。ああ、確かに下らないことだ。しかしこいつに譲るのはプライドが許さない。
「どっちか野宿すればいいんじゃない。」という新羅の提案を無言で否定して再び睨みあう。
ヴヴヴ、ヴヴヴ
ポケットの振動であっさりその緊張は断ち切られた。電話に出てみれば予想通りの人物だった。
(さて、ここから上手く進めばいいけど。)
携帯を片付けながらちらりと左側を見る。男はひっきりなしに貧乏揺すりをして落ちつきなく視線を動かしていた。
「シズちゃん、朗報だよ。」
犯人の目星がついた。しかも同じ親の子かもしれないと告げるとシズちゃんはひどく嫌そうな顔をする。
「お揃いかよ。」
「嫌な言い方だね。」
しかもこれが偶然じゃないからまた質が悪い。
「シズちゃんこないだアブナイ人達に喧嘩売っただろ。」
「俺は買っただけだ。」
同じくして俺もそいつらに喧嘩を吹っ掛けているために「一緒だろ」と突っ込むこともできない。
(でも背に腹は代えられないからなぁ。)
「それでさ、ちょっと提案。」
うさんくさいと評される笑顔を浮かべ、人差し指をまっすぐ伸ばす。向こう側にある敵意のこもった瞳には怪訝な色が表れている。今だけ、と前に置いて俺はできるだけ軽い調子で話し出した。
「休戦協定を結ぼう。あいつらを潰すまで。」
「具体的に言え。」
いつまでだ。受け入れるかどうかは返答次第なのだろう。俺は考えることもなく反射的に口を開いた。
「明日の朝までだ。」
立ち上がるのは同時だった。どちらともなく舌打ちをしてそれから歩き出す。
「じゃあね新羅。」
「世話になった。」
「うん、君達に不僥不屈の友情があらんことを。」
「「くそくらえ。」」
悪態を吐いて玄関へと向かえば背中でけたたましい笑い声がした。重なった舌打ちの音までも友情と言うのならこの世におそらく愛など存在しないのだろう。つまらない持論は新羅とともに部屋の中に取り残し、俺達は夕方の穏やかな街に駆け出した。
「いいね、殺すなよ。」
「加減が難しいな。」
すっかり辺りは闇に包まれていた。俺達が相対するのはこの街の中でも目を引く高層ビルの一つである。
「シズちゃんは下からね。俺は先にセキュリティ潰してくるから。」
一人も逃がすなよと念を押せば、買い言葉に当たり前だと即座に返ってきた。
(味方ならこれだけ頼もしいのにな。)
やれやれ、頭を振って俺は歩き出す。後ろから殺気が付いてくるのを感じながら自動ドアをくぐる。
「さぁやっちゃって!」
途端にロビーは阿鼻叫喚の様相を呈す。ドアの前に重ねられる椅子。絹を裂くような女性の叫び声をBGMに華麗に飛ぶ男たち。
(敵に回したくないなぁ。)
あっはっは、嘘だけどね!
閉じていくエレベーターの扉の隙間から見える地獄絵図に微笑みを投げ掛ける。あの男はやっぱりああやっているのが一番いい。
ぐんと重力が余計にかかるのを感じて目を閉じる。瞼にビルの構造を浮かべつつポケットに手を突っ込んだ。
(一応、念のため、ね。)
チョコレートは食べ過ぎると副作用があるのだと四木さんが言っていた。一応、とは言いながら使うのを楽しみにしているのも本心である。それでも使わないに越したことはない。俺は人間だから死にたくなんてないのだ。
扉が開く。目の前に広がる人の海。
「殺せ!」「クソガキが!」「頭だ頭。」「下の奴はまだだ!」「よし今の内に。」
「うわぁ。」
なんという小物っぷり。拍手したくなるほどの悪役臭に笑いを堪えながら俺はいつものナイフを構える。
「お楽しみは後で、っとぉ!」
真ん中に飛び込んで波を作る。一人二人切りつけて、そこから徐々に崩す。
右の男のハイキックを屈んで避けて後ろにいた奴は腱を切ってオーバーに。さて左からバットで殴りかかってくるやつはどうしよう。よし、右の奴にぶつけてやれ。
(それにしても多い。)
時間がないのに。しかし焦る気持ちは目の前の男たちを減らしてはくれない。
(まぁいいか。あいつがやってくれるさ。)
いつもは油断してはいけない相手のはずなのに、あいつが近付くことで肩の力が抜けていくのがわかった。肌に感じるわずかな痺れを頼りに俺は駆け出す。そして俺がセキュリティルームの扉を閉めた頃、痺れは痛みに変わり男たちの怒号は悲鳴にかわった。
「さっすがシズちゃん。」
安心。浮かんではいけない単語を浮かべては消す。片っ端からセキュリティ関連のコードを切りつつ自嘲した。
(やれやれ、化け物を信頼しすぎだ。)
ぶつんと視界に入るすべての画面が黒に染まる。俺とあいつの関係もこういうふうに簡単な作りであればいいのに。それでも離れられないのは因果か、それとも。
じじじ。不吉な音を立てる機械を蹴り飛ばして俺は部屋を出た。
「最終決戦は派手にいきたいね。」
ポケットの冷たさは俺の茫洋とした頭を現実に引き戻すに足るものだった。
次にシズちゃんと会ったのは最上階だ。
「げ。」
そして事態は最低であった。
「なんで終わってんのさ。」
シズちゃんの足元には今回の黒幕が伸びている。悪びれた様子もなく煙草をふかす姿がまた腹立たしい。仕方なくこの会社の機密情報をいくつか抜き取り、伸びた社長の写真を撮っておいた。さらにデスクには脅迫文をそえるなんていうまるで俺らしくもないアグレッシブなことをしてみたがなんとなくまだ落ち着きが悪い。
(欲求不満だ。)
あれだけのことをされたんだからそれ相応にいびってやりたかったのに。それにあの悪鬼のような姿をまた見たかった。
(いや、それは嘘だけど。)
「おいてめえ、何してんだ。」
右手が勝手に動いた。構えられたチョコレートこと小型拳銃はまっすぐシズちゃんの眉間を見据えている。
「だってシズちゃんがあんまり空気読めないことしてくれるもんだから。」
「何がしてえんだよてめえは。」
「んー、お楽しみ?」
「殺すぞ。」
空気がピリピリする。この殺気が心地いいなんて俺はこちらに浸りすぎたのだろうか。
これはさっき男たちに向けられていたものとはまた質が違う。純粋に本能から出たもの。
(ああ、やっぱりこっちの方がいいかな。)
笑っているうちにいつの間にか銃はポケットに収まっていた。
「ははっ、あー、楽しかった。じゃあね。」
ひらりと手を振って俺は歩き出す。割れた窓ガラスの向こうには白み出した空が広がっていた。
「じゃあねシズちゃん。次は俺を殺せるといいね。」
止める声はない。朝のはりつめた空気の中で俺は高笑いを響かせる。
「あははははははは!」
世界の中であいつには俺しかいないのだと考えて思わず吐き気がした。
(吐き気がするほど愉快だ!)
それでも割れたガラス越しにさえ朝日は差し込む。
楽しげなその感情を定義付けるのは俺には難しすぎるだろう。