筆頭はピンク、水色黄色。パステルカラーが淡い輝きを放ち、古びた教室に不釣合いな華やかさをもたらしている。
「どうしたの、静雄」
呆然と立ち尽くす僕。机の上に並べられた大量のマカロン。乙女チックな色彩の向こう側にはなんとも幸せそうな顔をした金髪男、もとい友人がいた。
「新羅聞いてくれ、」
この表情を見て誰が彼を『喧嘩人形』だなんて呼ぶだろうか。長い付き合いでも片手で数えられる程しか見たことの無い満面の笑みを浮かべた静雄は手にマカロンを持ったまま立ち上がる。普段まとっているとげとげしい、他を寄せ付けないような気配はそこにはなく、彼を中心とした空気は濃い桃色に染まっていた。
これを人は「恋」というのだ。
「教科書、貸してくれたんだ。」
「へぇ、あいつが?」
珍しいこともあるもんだ。驚きつつもそちらに近付きそこにあった椅子に腰掛ける。静雄はまだ興奮冷めやらぬといった調子でまだ立ち上がったまま次の言葉を探していた。どうやら余りの事態に頭のキャパが追いつかないらしい。思わず微笑んでしまいそうになるのをにやつく程度に止めて机に腕を伸ばしパステルの一欠けらを手に取った。薄い紫色をしたマカロンは思っていたよりも随分甘くてうっかり胸焼けを誘発しそうだ。
マカロンならば、たとえ後の胸焼けが恐ろしかろうとも咀嚼して飲み込める。しかしながら人の恋というやつはどうも戴けない。
「臨也が、俺に優しかったんだ。」
ことに親友同士の恋愛なんかに首を突っ込むとろくなことは無いと僕は心中溜息を吐くのだった。
***
平和島静雄は非常に善良な高校生である。これは僕が保証しよう。ただ彼は人よりほんの少し沸点が低くて、それに人より随分優れた力を持っているだけなのだ。
それどころか今に至ってはもしかすると平々凡々な私にさえ劣るかもしれない。恋によって盲目となった彼にはもはやあの男の悪い部分など見えちゃいないのだ。
「いい加減目を覚ましてくれよ静雄。臨也は確かに眉目秀麗だけれども見た目は中身を端的に表すわけではないんだ。」
僕は必死に理想の夢想にふける友人を現実に引き戻そうとしてみる。もう一人の当事者であるあの男は人の皮を被った悪魔だと真っ直ぐに彼に投げつけてみた。
「臨也が、俺に笑いかけて、教科書を手渡してくれた」
しかし聞いちゃいない。恋というものはここまで人を狂わせるものなのか。
ほんの少し前まで確かに彼らは喧嘩と言う名の命の取り合いをしていたはずだと私は回想する。
なにがどうしてこうなったのか。いくら考えてみてもわからない。口の中にもう一つマカロンを放り込む。いくら考えたってそれがわかるわけでもないし、砂糖菓子の甘さは変わらない。
(僕がセルティを愛しているのと同じだと考えればいいのかな。)
私はそう結論付けて考えるのをやめることにした。僕が彼女を愛するのを決して止められないように、きっと静雄も臨也を好きでいるのを止めることなんて出来ないのだろう。
要するに、それが愛というものなのだ。
***
「あいつさ、俺が教科書忘れたって言った時、嫌だって言わなかったんだぜ。」
おそらく嫌味の一つや二つは言われただろう。うっかりすると出そうになるその台詞を砂糖と一緒に飲み込んだ。
顔を赤らめ途方にくれたように眉を下げ、静雄はすとんと腰を下ろす。年季の入った椅子が少し軋んだ。お互いに黙って砂糖菓子を咀嚼しつつオレンジ色に染まっていく室内を眺めている。金髪の向こうには滴るほど鮮やかな夕日がゆっくりとその身を街の向こうへ沈めていくのが見えた。
ふと思いついて僕は焦点を金髪に合わせる。
「君もしかして臨也に嫌われてると思ってたの、」
驚いた表情をしたのは私だけでなく、それ以上に目の前の友人は大きく目を見開いていた。慌てて口の中にまだ残っていた菓子を飲み込むと、勢い込んで静雄は僕に掴みかかる。
「そうじゃないのか。」
「違うと思うよ、少なくとも俺の見た分には。」
「本当に、」
「君に建前を言ったところで何のメリットがあるのさ。」
あるとするならば僕が楽しいぐらいかな。ああいけないあいつみたいなことを考えたと背筋に冷たいものを感じながら僕は再び椅子に腰を下ろした静雄に目をやった。
どうやらさっきの言葉は予想外に威力が強かったらしく、椅子に崩れ落ちるだけでなく静雄は机に突っ伏していた。組んだ腕の中に顔を埋めているものの赤い耳は隠れていない。オーバーヒートしないものかと心配していると、腕の間から小さな声が聞こえてきた。
「え、何?」
「俺は、今日、死ぬのか…」
鉄の弾丸よりも彼には砂糖菓子の弾丸のほうが遥かに有効なようだ。笑っているのがばれないように片手で口元を押さえた。
「笑ってんじゃねぇよ。」
「あ、ばれてた?」
「バレバレだよばーか。」
「っていうか君、ホント臨也のこと好きだよね。あいつに顔以外の取り柄なんてあったっけ。」
静雄は顔をあげようとしない。照れているとは言わずもがなである。くくくと笑い声を漏らす僕に投げつけられたのはいつもの鉄拳ではなく砂糖菓子だった。
その時不意に扉が開かれた。
***
「あれ、新羅とシズちゃん?授業はとっくに終わったってのに随分勤勉だね。」
嫌味交じりの軽口を飛ばすのはよく見知った僕の友人、そして顔を伏せたままの彼の想い人、折原臨也である。不健康なほど白くて指の長い手をひらひら振りながら、いかにも善良そうな顔をしてこちらへと歩み寄ってくる。
「なんていうか、巧言令色だね。」
「何がさ、」
「君の姿とそれに翻弄される人の姿を見てて思っただけだよ。」
「ふぅん?それはお気の毒様。」
笑いながら臨也は僕の隣に腰掛けた。バランスが悪いことを承知で机の上に座るのはこの男がアレだからだろうか。下らないことを考えた。自身に苦笑しつつ私は顔を上げた。
臨也はそんな僕の行動を意に介することも無く、目の前のパステルカラーを見つめていた。あ、と僕が言う間もなく臨也は手をそれに伸ばす。
「ねぇ、これって手作り?」
「あ、馬鹿、お前、」
臨也の指に摘まれたピンクのそれを取り戻そうとした指先は空を切る。そのまますべるように口まで運ばれ、マカロンは姿を消した。呆然とそれを見守る静雄。その背後では下校を告げる音楽が流れ始めていた。
おいしいかと僕は尋ねてみる。ゆっくりと口の中のものを飲み込んでから臨也は口角を上げて僕のほうを向いた。
「美味しいよ。その人の個性が出てるところも好きだな。」
瞬きさえもせず臨也の一連の行動を見守っていた静雄が息を飲む。あっという間にその顔は朱に染まった。誰が作ったのかと私に訊いてくる臨也と、動けない静雄の両方を見守りながら僕は肩を竦める。何も言ってくれるなという静雄の視線を正面から受けた友達思いの私は、右側にいる臨也に何も言わずに目配せした。初め首を傾げたが、やはりいつも悪巧みしているだけある、臨也は直後全てを理解した。
「もしかして、これをシズちゃんが?」
静雄の鋭い睨みが僕を刺した。
僕はただ軽く目を瞑ってそれを受け流す。
(早々に万事収拾して私の日常に平和を戻してくれよ。)
僕が望むのはそれだけのことなのだ。
***
唇を噛んで静雄はじっと俯いていた。視線は机上のマカロンに憎しみを込めて注がれる。もうお菓子など作るまい。きっと彼の頭にはその言葉がめぐっているに違いない。
臨也がまたもう一つマカロンを手に取った。一口に黄色いそれを収める。そうして指先に付いた甘い欠片を舐め取ってから臨也は真っ直ぐ静雄を見た。
「ねぇシズちゃん、次はシュークリーム作ってよ。」
青空のように爽やかな声だった。それこそ夕暮れで赤く染まっていくこの部屋に似合わないほどの。
静雄は目を見開く。ぽかんと口を開けて臨也を見つめる姿は間抜けともいえる。しかし僕も同じような表情をしているので何とも言えない。
ニコニコと楽しそうな表情を浮かべた臨也は「あ、ティラミスもいいよね」なんて暢気にひとりごちている。僕は何か言おうかと口を開きかけるが、背後に流れるビートルズの穏やかで、どこか俗っぽい歌声がそれを止めたのだった。
「俺、シズちゃんの作ったものがもっと食べてみたいんだ。ねぇ、いいだろう。」
悪びれもふざけもしていない。その声はいつもの軽い調子であるからこそ真実だった。
臨也がもう一度いいだろう、というほとんど彼にとって命令に近いようなその言葉を呟いてしばらくしてから静雄は首を縦に振った。その目は泳ぎ、涙もにじんでいたように見えた。もし彼に尻尾があったなら、今この瞬間には千切れんばかりに振られていただろう。それほどまで静雄の周りには喜びが溢れていたのだ。
***
「ちょっとトイレ」と顔を真っ赤にした静雄が教室を駆け出して行った後も僕は表情を崩せずにいた。不思議そうにこちらに目をやる臨也。僕は正直に意外だったんだと白状した。
「君は静雄のこと、絶対に馬鹿にするんだろうと思ってたから。」
「まぁギャップにやられかけたことは確かだけどね。」
臨也はひどく楽しそうに笑いながらまたマカロンを手に取った。
「誰が何を持ってたっていいんだよ。シズちゃんがあんな力を持ってることだって、新羅が変態的性欲を持ってることだってさ、世界から見ればごくごく自然なことなんだ。」
砂糖菓子の弾丸を持った男はそう言って目を細めた。室内は静かで、世界の回り方でさえ穏やかだった。いつもあれだけ道を外れて生きているとは思えない台詞だと僕は思って顔を上げる。しかしその言葉は喉の奥で引っかかったまま出て来ようとはしない。なぜなら僕自身その台詞に感じ入ってしまっていたからだ。これも自然なことなのだろうか。
「真理ってやつかな。」
「さぁね、詩的な事は向かないもんでよくわからないんだ。それでも、」
言葉がチャイムに区切られる。臨也は小さく息を吸った。
「俺は俺だし、シズちゃんはシズちゃんだ。他の誰でもないんだからさ、やりたいことをやればいいんだよ。それが俺の愛する『人間』ってやつだ。」
臨也が口に含むのを見て、僕もマカロンを手にした。淡い水色は光を反射して目も眩むような輝きを見せている。
「臨也もたまにはいいこと言うよね。」
「俺はうそつきだからいいことしか言わないはずなんだけどね。」
甘い香りがする。パステルカラーの配色は確実に臨也の目の奥にも刻まれているようだ。
「シズちゃん遅いね。帰り、自転車で送ってもらおうと思ってるのに。」
そう呟く臨也の頬は夕日に染められていた。
一方の僕は悩んでいた。
(さてドアの後ろにしゃがんでいるあの金髪に関して言及するべきか否か。)
ある歌の一節を思い出す。『あるがままに』と流れるような歌声が脳内を巡るのを合図に僕は立ち上がった。
「じゃあね二人とも。よい青春を!」
ひょいと口に放り込んだ砂糖菓子の甘さに眩暈がした。
もしかすると近いうちに視覚的にもこの甘さに犯されてしまうかもしれない。頭に浮かんだそんな考えは、僕に胸焼けとともに染み渡るような笑顔を齎したのだった。