「それにしてもお前達はよく食べるな。」
呆れたような顔でもぐもぐと咀嚼しながら、隣の東堂がそう言った。その手には生クリームのたっぷり挟まった円形の見慣れた菓子が握られている。目を手元へ向けないままそれを口へ運ぶものだからクリームがこぼれてしまっているが、東堂がそれを意に介する様子はない。意識は明らかに手に持っているドーナツよりもテーブルの向こうに向けられていて、目は面白がるような色を隠しもしない。
彼が見つめているのは二人の男だ。
半額セールだからといって、それこそ食べきれるのかと思うぐらい買い込んできたドーナツが載せられたテーブルを挟んだ向こう側。彼らはひたすらに、それを貪っていた。

片方の赤毛はその東堂の言葉にお決まりのポーズで返事をしながら片手に持ったドーナツ(これで通算七つ目である)にかぶりつく。もはやその手は砂糖やらクリームやらでひどい様相であるが彼は全く気にしていないようだ。べろりと舌を出して指先を舐めたのに隣の男が嫌な顔をしたが、構うことも無い。
呆れた目でそれを見ていた荒北は無言のまま、いつもは悪態のために主によく動かされる口を今は食事のためだけに大きく開けて、あっという間に六つ目のドーナツを腹に収めた。それから隣の新開に向かってティッシュをボックスごと投げつけて、次のドーナツへと手を伸ばす。唇の端に付いたチョコレートを舌で舐めとるのを新開に揶揄されてうるせえと普段の口の悪さを発揮しながらも、間を置かずに砂糖でコーティングされたそれにがぶりと噛みついて、また頬を汚していた。

「荒北。」
「ん?あー、ありがと。」
頬を指し示してやるとようやく気付いたらしい。菓子を持ったその手の甲で軽くそこを擦って、まだ取り切れていないうちにまたそのドーナツに歯を立てる。瞬きをする間にそれは荒北の口を通って胃にすとんと収められる。それが落ち着く前に彼の手は伸ばされ、そうして性急に新たな相手を掴むのだった。
俺はそんな荒北の様子を見やりながら、果たしてこの細い身体のどこにそれだけの量が収まっているのだろうと不思議に思っていた。俺よりずっと嵩も幅もないくせに俺よりよく食うとは一体どういうことだろうか。
わずかに口角を持ち上げながら舌なめずりをし、また次の獲物へと荒北は手を伸ばす。その頬に付いたままの甘い欠片を取ってやりながら、喉に詰めるなよ、と言ってやれば「わかってる」と拗ねたような口調になるのがまたおかしかった。

「お前達を見ていると自分も大食漢になったような気分になるから困る。」
「でも尽八だってよく食うだろ。」
「お前達に比べれば可愛いものだよ。」
そう言いつつ東堂はひょいと四つ目のドーナツを取り上げる。緑色のチョコレートが掛かったそれを見て東堂は「巻ちゃんみたいだ」と呟く声を漏らしたが、俺たちは聞かなかったことにした。


(確かにそうかもしれないな。)
俺は心の中で一人肯定した。「巻ちゃん」という方ではなく、それの一つ前の言葉にだ。

実際新開と荒北が食べる様子は、確かに他人に食欲を与える効果があるように思える。
新開は周知の通り、この大食いである。好き嫌いもなければ食べ合わせなんかも考えない、一種悪食といってもいいぐらい食べることが好きな人間だ。あんまり食べているときに幸せそうな顔をするものだから(レースの時の顔と比べてやりたいほどだ)こいつを見ていると腹が減ると周りから言われることもしばしばあるほどである。
一方の荒北はといえば元来早食いの癖があるらしく、そういう評判はあんまり聞かないのだが、一緒にこうして食事をしてみると存外に気持ちのいい食べ方をするということがよくわかる。その可動域の広い口で食べ物をがぶりとやって、頬まで一杯にしながら咀嚼する。表情豊かな男であるから、旨い物を食べたときには目元は綻ぶし、飲み込んだ後に満足げに口の端を舐める様子だとか次々と箸を伸ばしていく姿だとかが見ている方の喉を鳴らすのだろう。
たまに食堂やらでこうして二人が並んでものを食べていると(荒北は昼も夕方もさっさと食べて練習に行ってしまうから普段は一人で食べるのだ)周りからのあいつらと同じ物をと言う声がよく聞こえるのも自然の摂理かもしれない。見た目よりずっと健啖家の二人が起こす小さなブームを二人自身は知らない。それと同時に、二人を見ている方が覚える楽しさをこいつらは知らないのだ。

目の前に広げられた色とりどりの菓子の海を泳ぐように細い指が伸ばされる。
「あっ、てめえ新開!それ俺ンだろ!」
「取っときたいなら名前でも書いとけよ。」
「ぶっとばされてえの、ってあー!こいつ食いやがった、信じらんねえ!」
「ん、うまいなこれ。さすが靖友。」
取ろうとしたドーナツを横からかっさらわれて荒北がひどく不機嫌な声を出すのも何のその。新開は満足げに口をもぐもぐさせながら、次の目標を見定めて手を伸ばす。すると今度は荒北がその指先からドーナツを奪い取り、ピンク色のチョコレートがかけられたそれは見る間に口の中へ消えていった。やったなお前、てめえこそ次はねえと思え。おやつの取り合いにしては物騒な言葉の応酬だ。二人とも頬に食べこぼしを付けているものだからそれはひどく子供っぽくて、余りの暢気さに思わず口元が緩む。
「平和だな。」
「全くだ。」
ゆったりとした調子でドーナツを口に運びながら、俺と東堂はくすりと笑った。その前ではやはりぎゃんぎゃんと二人が言い争いを続けている。二人とも本気で相手に食ってかかっている訳ではないから止める必要はないだろう。レース中のような鋭さの無い穏やかな争いだ。大型の獣が二匹じゃれあっているような光景を眺めながら、俺もゆったりと休日を楽しんでいたのだった。


「荒北、それ旨そうだな。一口くれ。」
「ヤダよ。イチゴ掛かってんのこれがラストなんだから。別の食え。」
「お前が旨そうに食うのが悪いんだ、責任を取れ。」
「それ理不尽だと思わねえのォ?」
「旨いものに罪は無いし俺にも罪はない!」
「バッカじゃなァい!」
そう東堂を罵ったものの荒北は堪えきれずといった風に吹き出していた。基本的にわかりやすい男である。旨いものを好きなだけ食って随分機嫌のいいらしい荒北は、一口だけだかんな、とぶっきらぼうな口振りではあったがすっと東堂の方へドーナツを差し出してやる。一口だけかじられたファンシーな色合いのそれを東堂はにこにこ笑って見つめてから、いただきますと丁寧に告げてそれにかぶりついた。
「おっまえ、食いすぎ!」
「うむ、やはり俺の目に狂いは無かったな!」
残り三分の一ほどになった円を見て荒北が叫ぶ。東堂は満足げな表情で口の中のものを噛みしめて頬を綻ばせていた。思わず「旨いか」と俺が尋ねると、東堂は満面の笑みで頷いてみせる。そんな様子に怒る気も失せたのだろう、荒北は呆れたように肩を竦めて、それから俺の方を見た。
「福ちゃんも食べる?」
不意のことに驚いてきょとんとしている俺を見て、荒北が首を傾げる。妙にその動作が可愛く見えたのは惚れた欲目だろうか。しばし固まったまま目の前に掲げられたドーナツを見つめていたが、東堂に軽く肩を叩かれてはっとする。
「旨いぞ、俺が保証しよう。」
そういうことじゃないんだが。その言葉を飲み込みながら視線を元に戻すと、荒北は遠慮しなくていいよと言って目を細めていた。
「俺とそこのバカが食った後で悪いけどねェ。」
「バカとはなんだ。お前こそトミー馬鹿の癖に。」
「その言い方やめろよ、福ちゃんまで馬鹿にしてるみてえだろ!」
「ム!それはすまなかったなトミー!」
「寿一、それ食わねえの。じゃあ俺に頂戴。」
「てめえは自分の手に持ってるもん食いきってから言えやバカ新開!」
バカバカバカとこれまた子供っぽい言い合いだ。三人は自分がこのうちの誰よりもまともだと思っているようだが、それこそドングリの背比べ、五十歩百歩だということに気付いているんだろうかと俺は密かに疑問を抱いたのだった。
(まぁ、俺も人のことは言えないか。)
言い合いを続けながらも差し出されたままの手を俺は掴む。荒北が驚いた様子で口を開いて何か言葉を発する前にその手の中の菓子にがぶりと食らいついた。わずかに舌に触れた指先がざらついていてひどくこの男らしいと思った。甘さが口腔内を満たしていくのと同時に、目の前の男の顔に赤が差していく。自分で差し出しておいて、と緩みそうになる頬を顎を動かすことで誤魔化していると、斜向かいに座った新開がひゅうと口笛を鳴らすのが聞こえた。

「福も大概馬鹿だったな。」
「ああ間違いなく寿一も俺たちの仲間だ。」

真っ赤になって俯く荒北を眺めやりながら無意識にゆるむ頬を否定しようもなくて、俺は苦笑するしかなかった。



【Eat:食べる[原義:噛んで飲み込む]】