俺たちのバンドのリードギタリストと言えば気性が荒いことで有名だが、それでも昔、初めて顔を合わせた時に比べれば随分丸くなった方なのだ。
「福ちゃん、ここのリフなんだけどさぁ、」
だらりと身体を投げ出したまま靖友が手を伸ばす。横の寿一の肩に頭を預けたまま、ここ、と言ってをその手の中にある譜面を指さした。寿一は靖友が見やすいようにと少しだけ手を下げて(至極自然な動作でやるもんだからこちらが照れてしまう)、もう片手でもったペンで指摘された点を書き込んでいく。
ここ半音下げた方が、そんでベースとギターの掛け合いちょっと増やしたいからこことここ変えて、あ、ここに休符入れようよ、それでリズム軽くトバしてさーー
「って感じなんだけど、どうよ。」
「構わない。」
「相っ変わらず偉そうだねェ。」
「嫌か。」
「いいや、そういうもトコも好き。」
「お前等さぁ・・・、」
こっちのことなんてお構いなしか。そう言ってみても二人はどこ吹く風で。これ以上言い募るときっと「それが何か問題があるだろうか」なんて言葉が返ってきそうだから俺は口を閉ざすことにした。ギタリストにはギタリストの領分があるように、恋人同士の領域には踏み込まないのが最善の選択なのだ。
靖友の腕が寿一の肩に回ったのを見なかったことにして俺は二人に背を向ける。
「俺、飲み物買ってくるわ。」
「わかった。」
「おー、ゆっくり帰ってこい。」
「うるさいバカップル!」
そう叫んだ勢いのままドアを開いて俺は部屋の外へ出た。ちくしょうここは俺の家なのに、どうして追い出されなきゃいけないんだ。そう思いはしても二人の顔を見るとどうも黙ってしまうのが俺の悪いところだ。だって仕方ないだろう。親友達の幸せに水を差すことなんて優しい俺には出来ないのだから。
***
三年前のある日、我が楽しきスリーピースバンドに一人のギタリストを引っ張り込んだのは、リーダーでギターボーカルの寿一だった。
「寿一が連れてくるなんて初めてじゃないか。どんな奴なんだ。」
「どんな奴と言われても・・・。そうだな、ただ、鋭い。」
そういう大雑把な説明はいかにも無骨なこの男らしかったがそこから読みとれたことと言ったら、こいつが褒めるということはどうやらなかなかいいものを持った奴らしいぞ、ということぐらいで、どこで出会ったのかとか、どういう系統のギタリストなのかだとか、そういった肝心なことは全く教えてもらえなかったことをよく覚えている。
今まで俺や、ベーシストの東堂が何人かこいつは、と思ったギタリストを連れてきてみたりもしたのだが、寿一の作る曲に合わなかったり(不器用そうに見えて案外メロディアスだったり、はたまたアップダウンが激しかったりと広い曲調を好むからなおさら)、基本的に実力主義な三人の誰かにダメ出しをされたり、またそもそもレベルが違ったりしてどれも続かなかった。
だからこそ寿一が「会わせたい奴がいる」と言ったとき期待したのだ。鉄仮面のくせに一番音には敏感なこの男が俺たちに聞かせたい音とはどのようなものなのか。それが俺たちの曲に合うものなのか。期待半分疑い半分。そんな気持ちで俺たちは荒北靖友という男と初めて顔を合わせたのだった。
***
初めて会ったその男の印象は、なんというか、鮮烈だった。
「えっと、ブライセン・セッツァー、好きなの?」
「てめえ俺の頭だけ見て物言ってんじゃねえよ、ボケナス!」
その日俺は生まれて初めて間近でリーゼントなるものを見て、初対面の人間に罵倒された(その直後に「べっつに嫌いではないけど」というツンデレも初体験する事になるのだが、口に出すと怒られそうだったから言わなかった)。その隣にいる親友がなぜだか(相変わらずの無表情ではあるが)今までにないうきうきした様子だったのも不思議だったし、俺にとってそいつは全くもって未知の生き物だったのである。
そして何より俺が驚いたのは、そいつの持っていたギターだ。
「寿一、それ!」
リーゼントーー荒北が持っていたのは親友が学生時代からずっと使い続けていた水色の(ロードバイクをやっている彼の兄が言うにはチェレステの)テレキャスだった。
何事もないかのように平然とそのギターをケースから取り出してアンプに繋ぐ荒北を目を丸くして見つめる俺に、寿一は「譲ったんだ」とこれまた当然みたいに告げるから、俺は開いた口が塞がらない。なんで、お前これ大事にしてただろ、それをこんな、どっから来たかもわかんねえような奴に。言いたいことがぐるぐるしてなにも言えないまま口をぱくぱくさせていると、不意に荒っぽくおい、と呼びかけられる。
「勘違いすんなよ。いいか、これは借りてるだけだ。今は自分のねえからこれ使うけどよ、このバンドで食ってけるようになったら返すんだからなァ!わかってんだろうな鉄仮面!」
なんで借りてるくせにこんなに偉そうなんだとか、というかこいつもうこのバンドの一員のつもりなのかだとか、言いたいことと疑問と文句と、その他色々の感情がごっちゃまぜになって俺の喉を焼いた。認めたくない。こんな奴が俺たちが作り上げてきたこのバンドに入るなんて。正直なところ俺はそう思っていたし、きっと尽八だってそう思っていたはずだ。それでも二人とも何も言わなかったのは、そこまでしてこいつを連れてきた寿一の意志を読み切れなかったからだろう。他人の感情に鋭い方ではないが、福富という男は頭の悪い人間ではない。少なくともずっと時間を共にしてきた仲間の気持ちを読みとれないようなタイプの男ではないし、それを好んで蔑ろにするような性格でもないと俺と尽八は知っているから何も言わないのだ。寿一のやることには必ず何か理由がある。今回この気の荒くてみてくれからしてヤンキー丸出しの男を連れてきたのだってそういった確固とした理由があるに違いないという確信があったから俺たちは黙り込むしかなかったのだ。
(気に入らなかったら楽器ひっぺがしてすぐ追い出してやる。)
ぐっと言葉を飲み込んで、俺はそう内心思っていた。顔に出さないようと気を付けていたのだが「何睨んでんだ」と荒北に言われてしまって、俺はもうすっかり不機嫌になってしまっていた。
ともかく初めて出会った時のあいつの印象と言ったら最悪の一言だったのである。
***
しかしそれがどうだ。
俺たちはまったく、簡単な生き物だった。
寿一に促されて一曲、新しくこのバンドに入る(予定の)男を交えて演奏してみることになって、俺はドラムセットの前に、同じく微妙な顔をしたままの尽八もベースを肩に掛ける。荒北は落ち着かなさそうにピックを空振りしていたが、寿一がそちらを見るとすっと動きを止め、わずかに口角を上げた。(そのどこか気心の知れたような態度がまた俺たち二人を複雑な気持ちにさせたのは言うまでもない。)
それから寿一は俺と尽八の方にそれぞれ視線をやってから、曲名を告げ、あ、あ、と軽くマイクの音量を調整するとギターを構える。わずかに目を細め、宙を睨んで。彼が集中しているときの癖だ。
俺は静かに深呼吸して、それからスティックを打ち合わせる。
4カウント。
スネアの高い音から、その曲は始まった。
彼の作る曲にしてはそれは割合キャッチーな方だったが、寿一はその曲をなかなか気に入っているようだった。誰かメンバーを入れるとなった時に演奏するのは必ずその曲で、だからこそその曲は俺たちにとって特別な意味を持つものとなっていた。このバンドの目指す理想の一つがこの曲の中に詰まっている。寿一自身そんなことを口にしたことはなかったが、これを演奏するとき、全員がそう思い浮かべているのだろうと内心気付いていた。
あの時、思わず手が止まりそうになったことを覚えている。
ドラムとベースだけの前奏が終わって、寿一のギターがコードをなぞると、数拍置いてリードギターが入ってくる。
はっと息を飲む。
それはそれまで俺が聞いたことの無い音だった。
「演奏する」だとか「奏でる」だとか、そんなお上品な言葉では表せるわけがない。「弾く」よりもっと荒っぽくて、「がなる」だとか「飛び込む」だとか、そういった言葉の方が似合うような、そんな音だ。
鋭すぎるカッティング、すべてをかっさらうようなチョーキングに飛ぶようなリズム取り。身を投げ出すかのようなそのプレイスタイルに目を奪われる。
(嘘みたいだ。)
油断すると全部持って行かれそうになる。思わず早くなりそうになるテンポをどうにかキープしながら俺は目を見張っていた。こんな荒削りで、がさつで、身も世も無いような弾き方の奴なのに、それはまるで誂えたみたいに俺たちのボーカルの声と合っていたのだ。
寿一の、低く掠れる声も、高いところで震える癖もわかっているようにそのギターは響く。
青い空に身を擲つ幻覚を不意に見た。
(なるほどこれは寿一が惚れるわけだ。)
俺は新しい仲間となった男を見る。自らの左手を見る傍らで、荒北が見つめていたのはやはり寿一だった。『お前に全部くれてやる』とでも言いたげに、潔く振り下ろされる右手。
耐えきれなくなって口元を緩ませる。寿一もあんな風に見えて隅に置けない。ふと見ると、尽八も笑っていた。
「仕方ねえよなぁ、こんなの。」
こっそりと呟いた声はシンバルの音にかき消されたが、きっと二人とも同じことを思っていただろう。どこで拾ってきたかは知らないが、こんな野良犬みたいな奴をここまで懐かせるなんて。
寿一がちらりとこちらに視線を向けたので、にいと口元を持ち上げてやると、彼は「悪くないだろう」と得意げに目を細めた。
(ああ、悪くない。それどころかこいつしかいねえよ。)
視界の中でチェレステが踊る。音が跳ねたのに彼は不本意そうに盛大に細い眉を寄せたが、その音さえも俺たちのバンドにあっているような気になって、いつの間にかすっかり絆された自分自身に俺は少し苦笑した。
俺も、尽八も、そして寿一も、見てしまったのだ。荒北の放つ音の端々にある理想を。そして荒北自身もきっと俺たちの音に何かを見出したのだろう。
曲が終わって、一瞬あいつが口の端を持ち上げたのを俺は見逃さなかった。
俺たちはそうして出会い、仲間になった。
しょっちゅう喧嘩もするが、しかし俺たちはこのまま一生離れられないだろうなぁと思ってしまうのは、あの時のイメージがいつだって頭の中にあるからだ。
同じ理想を描いたこの四人なら、きっとどこまででもいけるだろう。
「靖友。」
俺がそう呼ぶと彼は目を見開いて俺を見て、また視線をそらしてから照れたように喉の奥で笑った。きっとその時のあの顔を俺は忘れないだろう。そしてその隣にいた男が頬を緩めたのも、一生覚えているだろう。
***
「なんだ隼人、追い出されたのか。」
ぶらぶらと近所のコンビニの方へと歩いていくと、ちょうどそこから出てきた尽八と出会った。電話をするからと言って出ていってなかなか戻ってこないと思ったら。呆れる俺の顔を見て、尽八は悪びれもせずからりと笑う。
「もうしばらくふらふらしてから帰ろうぜ。」
今帰ると靖友が不機嫌な顔するだろうし。やれやれと肩の力を抜きながら俺も釣られて笑ってそう言うと、尽八は「仕方ないな」とちょっと苦笑の色を滲ませた。
「まぁあいつらはあれでいいんだ。」
幸せそうだし。それになによりあいつらはお互いの人生を相手にすっかり委ねてしまっているのだから、今更離れろと言ったってそれは無理な話なのだ。
二度目に会ったときにはもうさっぱりと切られてしまっていたあの髪を思い出す。きっとあの髪にもあの髪型にも、靖友にとって譲れない考えがあった。それをあっさりと切り捨ててしまえるぐらい、俺たちとの出会いはあいつにとって衝撃だったのだろう。そしてそのきっかけを作ったのは他でもない寿一だ。
あいつらがどこで出会って、寿一がどうして靖友に惚れて、どんな口説き方をしたかなんて全く想像もつかないが、なにがあったって離れられるはずが無いということだけはわかる。
「盲目だよなぁ。」
「こういう場合、どうしようもないって言うんじゃないか?」
空色のギターはまだ、靖友の手の中にある。この先それが返される予定は、今のところ立たないようだ。
【Play:遊ぶ/演奏する[原義:従事する]】