彼の目覚めはいい方ではない。自分ではそう悪い方だと思ったこともないが、だが朝起きるこの瞬間が一番嫌いなのだ。
特に酒なんか飲んだ日には最悪だ。どろどろに溶けたみたいな深い眠りからふっと意識が戻った瞬間に頭痛に襲われる。そうして無理やり瞼を持ち上げてみればすぐに目は眩むし、耳の奥にビー玉が詰まってるんじゃないかと思うほど怠くて身体も起こせない。何をするのも億劫で、そういう日の朝が来るたびに彼はひどく後悔したりするのだが、しかしこれをもう片手では足りないぐらい繰り返している。
荒北は目を開いて、今日もうんざりしたような気持ちでまず溜息を吐いた。二度と酒なんか飲むかと前回も思ったはずなのに、また今回も同じことを考えている。
ゆっくりと身体を起こしかけて一旦止まる。気分が悪い。視界の端で部屋の家具が回っている。喉の奥にざらざらしたような感覚があるのは昨日吐きでもしたからだろうか。ああどこだここ。昨日のうちにぶつけたのかそれとも日付的には今日になってから転んだのか知らないが、肘に擦り傷が出来ていることとそれから唇が切れていることに彼は気が付いて思わず眉を顰める。頭がガンガンする。起き上がってみようかと再度身体の下に肘をすべり込ませて力を入れてみるが、身体を起こしているんだかそのまま沈んでいるんだかもわからない。きっとまだアルコールが残っているのだ。
あんまりにも昨日は飲みすぎた。バカみたいに酒の強い男が仲間内にいたこともあるし、それにちょうどレース終わりのことで疲れていたから余計に回ったというのもあるだろう。彼がそう思いながら後悔するような気持ちになっているのは、第一には今の気分の悪さのせいがあるが、それに加えて昨日の夜の記憶が中途半端に途切れているということも理由の一つだった。さっきから何度も思い出そうとしてみるが、断片的な景色ばかりが頭に浮かぶだけで何も明確なことはわからない。昨日はどうしたんだったか。朝からレースがあって、終わってから打ち上げで、それから帰ろうとして。いや、オレは帰ろうとしたんだったか――
そんなことを考えているうちに不意に胸に何かがせりあがってくる。慌てて口元を押さえた。シーツの上で裸足がもがく。脚の先で先ほどまで被っていたタオルケットがたごまっているのを引きはがしてどうにかそのまま起き上がってベッドから足を下ろした。それから荒北はすぐにドアの方に歩き始める。足元がやたらと揺れている。彼はまだ開ききっていなかった目を無理やりに開いて、どうにかドアまでたどり着いたところで、彼はようやく自分が今まで来たことのない部屋にいるということをはっきりと自覚した。
辺りをじっくり眺めてみたいところだったが、腹が落ち着かないからそうもいかない。彼は喉の奥にせりあがってきたものを飲み込みながらドアノブを捻って慌てて外に出る。
廊下があった。思ったよりも広いところにいる。一軒家だろうか。誰かの家だということは間違いない。出たところの左手に階段が見えたからここが階上だということはわかった。階下からは人の声がする。やはり知らないものである。荒北はまだ、どうして自分がここにいるのか一向に思い出せない。彼は廊下を進んでいってそのまま右手に見えたトイレに飛び込んだ。
蓋の開かれたままの便器に顔を突っ込んで、それからすぐに喉の奥にわだかまっていたものを吐き出す。やたらと粘っこい。喉に貼り付くような感覚が残っているのまで指を差し込んで無理矢理に出してしまうと少し胸がすっとしたような気がした。胃の中を空っぽにしてしまおうと口を開けっ放しにしているとだらだらと涎が溢れてくる。そのうちに鼻水まで流れてきて、もう二度と酒なんて飲むかと彼はひどく苦い気持ちで思っている。
何度目かの波がやってきて荒北がまた顔を伏せたとき、ちょうど背後に人の気配を感じた。扉の開いた音に振り返ることもできずに突っ伏していると不意に背中に温かいものが触れる。手のひらでさすられているらしい。なんとなくほっとするような思いになる。そうしているうちに出るものもなくなって、後から湧いてくるのは喉がいがいがするような酸っぱい液体ばかりになった。少し咳き込みながら唾液と一緒にそれを吐き出す。さすっていた手が軽く背中を叩く。視界がぐらつく中で荒北はその手の温かさを感じながら、ぼんやりと自分はまだ酔っているのかもしれないなんてことを考えている。
腹が落ち着いたところで彼は顔を上げた。唾液で濡れたままの指で軽く口元を拭ってから、荒北はようやく後ろを振り返ってそこにいる男の目を見た。
「福ちゃんいつから本当にいたァ?」